水戸黄門による日本初の学術調査が行われた『侍塚古墳』
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スタッフ名:森田
那須町のお隣、大田原市の湯津上地区は古墳群の宝庫と呼ばれており、その数は大小合わせて20基を超えています。
その中でも(上・下)侍塚古墳は水戸黄門として知られる徳川光圀の命により日本最初の学術的な調査が行われた古墳であることから、「日本考古学発祥の地」と呼ばれ、国史跡にも指定されています。
この調査は、当時「大日本史」の編纂に取り組んでいた光圀が大金重貞から献上された「那須記」に書かれた「那須国造碑」に注目し、この碑に記された那須直韋提(なすのあたいいで)の墓を明らかにするために行われました。
残念ながら被葬者の分かる物は発掘できませんでしたが、出土品は画工による図化の上、再び埋納され、その後墳丘の盛土が崩れるのを防ぐため松が植えられました。
「那須国造碑」は現在、侍塚古墳の近くにある笠石神社に祀られています。国宝に指定されており、日本三古碑の1つにも数えられているこの碑石ですが、拝観料を払えばなんと直接目にすることができます(ただし、写真撮影不可)。
宮司さんが解説もしてくださいますので、日本史好きの方は是非行ってみてください。
笠石神社の詳細はコチラから