ブログ
2022.05.18
2,421 view
スタッフ:杉森

こんにちはスタッフの杉森です!
今回は【柴田勝家】をご紹介したいと思います。
まず柴田勝家と聞くと福井県民は、”越前時代行列”を思い出します。
その時代行列とは柴田勝家役とお市の方役を芸能人の方が鎧兜姿で市内を練り歩き、その家来役を地元の企業の方が参加し後をついていくものです。毎春楽しみにしていましたが2020年に廃止が決定し、コロナ前の2018年が最後になってしまいました。少しさびしさを感じますが、その分足羽川の桜並木ライトアップ区間の延長など「夜間景観」に力を入れています。こちらも綺麗なので是非足を運んでみてください。

柴田勝家はお市の方と結婚するまで独身を通していたと言われています。それは絶世の美女お市をただひたすら想い独身を通したらしいです。しかし、当時の戦国時代の結婚は政略結婚が主流でした。織田信長亡き後、豊臣秀吉が勢力を拡大、密かに織田家包囲網をしいていきます。
そのため勝家とお市が結婚した背景には政治的なものがあった可能性が高いですが、勝家にとっては願ったり叶ったりの結婚でした。そして、二人は仲が良かったと言われています。
娘たちも慕っていたようです。
結婚生活はわずか6ヶ月でしたが、最後まで運命を共にしました。

「戦国一の美女」と称されたお市の方。数奇な運命に翻弄され続けた女性です。

茶々・お初・お江の三姉妹は二度も父を亡くしながらも戦国時代をたくましく生きました。

そんな柴田勝家ですが「鬼柴田」「かかれ柴田」「瓶割柴田」等、二つ名はどれも荒々しいものが多く聞かれます。なかでも「瓶割柴田」こちらは諸説ありますが一番有力な説は、籠城戦になり城内の水がなくなり勝家は城内中の水瓶をかき集め水を家臣に腹一杯飲ませます。そして、残った水瓶を全て割ってしまいます。そのうえで、”我々が生き残る道は打って出て敵を蹴散らす以外無し!”と家臣を鼓舞し、包囲網を脱出した逸話から呼ばれるようになりました。これだけ聞くと猪突猛進な戦国大名の代表に感じますが、治世や人柄にも秀でた人だともいわれています。
治世では北ノ庄城・城下街建設、北陸街道の拡幅、船橋の架橋、検地等を精力的に領内の治政に着手した。産業面でも絹織物・越前和紙の振興に努力し、外国貿易にも関心をよせていました。また、豊臣秀吉よりも先に刀狩を行い、その刀を船橋の鎖に作り替えたともいわれています。領民たちには「安堵状」「掟書」「判物」を発行し民政の安定を図りました。その城下町を見て宣教師ルイス・フロイスはこの町は甚だ立派で、城および他の家の屋根までも瓦葺で美しいと本国へ書簡を送っています。
人柄は親分肌で一緒に戦った仲間には気遣いを忘れなかったそうです。賤ケ岳の戦いから敗走する途中、戦線離脱し謹慎している前田利家がいた越前府中城に寄り、勝家は湯漬けと替えの馬を所望するのです。そして、去り際利家に対して盟約を破棄し、「秀吉側につくように」と言い残したという(諸説あり)。なお、養女という名目で、勝家側に人質に出されていた利家の三女は、無事に落城前に返されました。

九十九橋にまつわる言い伝えとは、4月25日夜中2時に橋を見に行くと首のない武者行列が渡るそうです。それを見たものは皆変死すると言われています。ちなみに4月25日は勝家・お市の命日にあたります。

イヤー!とても怖い言い伝えですね。夜中に九十九橋には近寄らない方がいいですよ。今回は自分の好きな武将だったもので長々と説明してしまいました。それでは皆様も福井に御寄りの際は行ってみてはいかがですか!
メールアドレスとパスワードの
ご登録がお済みの会員様
ご登録のメールアドレス・パスワードを入力後、
ログインしてください。
Qカードをお持ちで
メールアドレスのご登録をしていない会員様
初めてご登録されるお客様
※お客様の入力された情報は
「SSL暗号化通信」により保護されています。
安心してご利用ください。



