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2023.03.15
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スタッフ:杉森

こんにちは!春のようないい天気が日ごとに増えてきていますが、同時に奴らがやって来ました。もちろん“花粉”の事です。目は痒く、鼻水は止まらず、くしゃみも止まらず、戦意喪失の日々を送っています。皆さんはどう対応していますか?効果的な対策を知っていればどうか教えてください。どうもスタッフの杉森です。
福井県内には昔から“三国港”と“敦賀港”があります。今回は“敦賀港”をご紹介したいと思います。“敦賀港“は日本海に面する若狭湾地域は、奈良や京都の都からみて北の海の玄関口に当たります。そのため海路を通じて国内外の様々な人と文化が行き交っていました。中でも敦賀は、波穏やかな天然の良港であり、古くから発展していました。明治になると三つの鉄道敷設が計画され、その一つは、1882年に開通している敦賀と琵琶湖を結ぶ鉄道でした。
そして、1912年、ヨーロッパまでひと綴りの切符で渡航できる直通列車、欧亜国際連絡列車の運行が開始され、今まで1ヵ月を要していた日本からヨーロッパの旅程が、14~17日程度に短縮され「東洋の波止場」と呼ばれるようになった港です。
国際港として発達した敦賀港は、1920年代にロシア革命の動乱によりシベリアで家族を失ったポーランド孤児が、1940年代には「杉原千畝」の発給した「命のビザ」を携えたユダヤ難民が上陸した唯一の港であり、当時の町の人たちが彼らを温かく迎え入れた「人道の港」と呼ばれました。

~杉原 千畝~第二次世界大戦中、日本領事館領事代理として赴任していたリトアニアで、ナチス・ドイツによって迫害されていた多くのユダヤ人たちにビザを発給し、約6,000人のユダヤ人難民を救ったと言われる。

これらの歴史を後世に伝える為、平成20年にオープンした「ムゼウム」。ムゼウムとはポーランド語で「資料館」という意味があります。

ポーランド孤児上陸100周年、命のビザ発給80周年を迎えた令和2年に施設規模を拡大し移転新築しました。

周辺には「敦賀赤レンガ倉庫」があります。1905年にアメリカの「ニューヨーク・スタンダード石油会社」が石油の貯蔵庫として建設した倉庫です。1940年ごろに撤退し、戦時中は軍の被服倉庫として使用され、戦後は昆布の貯蔵庫として使用されていました。
~レンガの積み方~
レンガの積み方は、イギリス積、フランス積、長手積、小口積に大別されます。敦賀赤レンガ倉庫のレンガは長手を一段目に並べ、次の段は小口を並べるイギリス積になっています。
他と比べて頑丈になる積み方だそうです。
現在は一階に敦賀の町並みのジオラマ館となっており、二階はイタリアン、海鮮和食、カフェ等が入るレストラン館となっています。
今回の敦賀港はいかがだったでしょうか。繁栄を極め、そして、人道の港としてポーランド孤児、ユダヤ難民を受け入れた敦賀港。政府に逆らい人としての行動を起こした「杉原千畝」。
色々な事が起こり、色々なものを受け入れた敦賀港。何か素晴らしい所を見学でき、人としての生き方を考えさせられました。是非、皆さんにも足を運んでほしいです。もちろん、休暇村越前三国にもおよりください。お待ちしております。
敦賀港 福井県敦賀市 休暇村越前三国より車で約120分
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