MENU

ブログ

2023.07.05

1,047 view

-歴史上稀にみる大激戦地- 「金ヶ崎城跡」

スタッフ:杉森

画像1

こんにちは!
ルーティンの太極拳+ウォーキングをしているトラックが、最近高校の陸上部の練習に使われるようになり、大変賑やかになっています。トラックの中で太極拳をしているのが、とても恥ずかしくなり、家の駐車場で近所の人に見られない様にしながら頑張っている今日この頃、皆さんいかがお過ごしでしょうか。スタッフの杉森です。

今回ご紹介したいのは「金ヶ崎城跡」です。福井県敦賀市にある城跡ですが、他の城などにも引けを取らない歴史があり、各時代のターニングポイントとなる戦いがあった場所になっています。
 

-金ヶ崎城の築城-

敦賀湾に突き出した小高い丘(金ヶ崎山)に築かれた山城です。 治承・寿永の乱(源平合戦)の時、平通盛が木曾義仲との戦いのためにここに城を築いたのが最初と言われています。

-戦いの歴史-

画像1

南北朝時代
1336年10月13日、足利尊氏の入京により恒良親王、尊良親王を奉じて北陸落ちした新田義貞が入城、直後、足利方の越前守護斯波高経らの軍勢に包囲され兵糧攻めにされる。翌1337年2月5日、義貞らは、闇夜に密かに脱出し、杣山城(福井県南条郡南越前町)で体勢を立て直し、2月16日、義貞は金ヶ崎城を救援しようとするも敦賀郡樫曲付近で足利方に阻まれる。3月3日、足利方が城内に攻め込み、兵糧攻めによる飢餓と疲労で城兵は次々と討ち取られる。尊良親王、新田義顕(義貞嫡男)、城兵300名は城に火を放ち自害、恒良親王は捕縛され、3月6日、落城する。
 
室町時代
1459年5月13日、守護斯波氏と守護代甲斐氏の対立が深まり(やがて長禄合戦に発展)、古河公方足利成氏征討の幕命を受けた斯波義敏は兵を引き返して金ヶ崎城を攻撃するも、甲斐方の守りは堅く、義敏方は大敗した。この戦いは8代将軍足利義政の怒りを買い義敏は失脚しました。

-戦国時代 最も有名な撤退戦「金ヶ崎の退き口」

画像1

画像2

画像3

「金ヶ崎の退き口」は1570年4月に織田信長と朝倉義景・浅井長政の間に起こった戦いです。自分に従わない朝倉家を苦々しく思っていた信長は、朝倉氏を滅ぼそうと考え、織田軍は越前に入り、海運の要衝・敦賀港を有する敦賀へ侵攻し、港を押さえる金ヶ崎城の攻略を開始します。敦賀一帯を制圧した信長は意気揚々と朝倉氏の本拠・一乗谷に向かって兵を進めますが、現在の敦賀市と南越前市を隔てる木ノ芽峠にさしかかったところで、思わぬ知らせが飛び込んできました。それは、義弟・浅井長政裏切りの情報でした。実際、信長と同盟を組む際にした「朝倉攻めを行う場合は、事前に長政に相談する」という約束を破られ、朝倉攻めがはじまったことにより家中の親朝倉派を抑えきれなくなったため、裏切ったといわれています。

-撤退戦に突入-

画像1

画像2

長政の裏切りを知った信長は、このままでは朝倉軍と浅井軍の挟み撃ちにあうことを悟り、すぐさま撤退することを決めます。信長は、木下秀吉(後の豊臣秀吉)、明智光秀らに殿を命じ、金ヶ崎城を守らせました。そして、自身は若狭方面から京を目指します。
若狭を抜けた信長は、近江を南下するため浅井氏の支配が及んでいない朽木越えを行うことにしました。同行していた松永久秀の説得により、朽木の領主・朽木元綱が信長の撤退に協力。4月28日には京へ到着します。帰京時、信長の供をしていたのは、わずか数十騎の兵のみだったそうです。
そして、5月6日には、秀吉や光秀ら殿部隊も京に生還。織田軍は5月9日に、本拠地の岐阜城へ帰還するため、京を出立しました。岐阜への道中に、信長が杉谷善住坊に狙撃される事件が起こるも、かすり傷を負ったのみで、無事に岐阜へ帰還しました。
-その後-
信長は金ヶ崎の窮地を脱した後、態勢を立て直し姉川で朝倉・浅井連合軍を撃破。1573年には両家を滅亡させ、その後も、天下統一に向けて諸大名を次々と破っていきます。金ヶ崎で見事に殿をつとめた秀吉や光秀も、これを機に織田家の中で重用されるようになり、城持ち大名にまで出世していきました。

-現在の「金ヶ崎城跡]は-

画像1

画像2

画像3

画像4

画像5

現在の「金ヶ崎城跡]は、縁結び・恋愛成就のパワースポットとして有名な「金崎宮」があります。何とか難を逃れた有名な撤退戦「金ヶ崎の退き口」のエピソードなどから、難関突破・開運招福のご利益もあるといわれています。信長に危機を知らせるため、妹のお市の方が送った袋にちなんで、「金崎宮」にあるお守り「難関突破守」は両端を紐で結んだ袋の形をしていて、中に小豆が一粒入っています。
また、明治時代に「金崎宮」へ桜見物に訪れた男女が「花換えましょう」と声をかけあい、桜の小枝を交換することで思いを伝えたそうです。「花換え」をしたカップルは将来幸せに恵まれるといわれ、「金崎宮」は「恋の宮」と呼ばれるようになりました。今でも桜の季節のみならず、良縁を願う人たちが多く訪れているそうです。
そして、金ヶ崎城から手筒山城へ至る道はウォーキングコースにもなっており、当時の戦いを偲びながら散策することが可能です。途中、赤レンガ倉庫や新しい敦賀駅も臨むことができます。

今回のご紹介は以上になります。南北朝時代、室町時代、戦国時代、三つの大激戦を経て現在に至ります。是非、皆さんも信長、秀吉、光秀たちが激戦を繰り広げたこの地を、ぜひ1度訪ねてみてください。
勿論、休暇村越前三国もお待ちしております。

「金ヶ崎城跡」福井県敦賀市金ヶ崎町1-4 休暇村越前三国より車で約90分 駐車場あり

FOLLOW/

Reservation

閉じる