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2024.02.07

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ああ!重要な城を入れ忘れていました。 -丸岡城-

スタッフ:杉森

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こんにちは!
大変な出来事が起こりました。アジアカップ準々決勝でイランに敗退。予選の時と全く同じ戦術にはまり、前線に大きな選手をたて、ロングボールを蹴る。日本選手は予選と同じように慌てふためき、セカンドボールがとれず、挙句の果てには前線に4人もの選手を並べ、一番落ち着いていなかった板倉選手にプレッシャーを掛けました。そして、後半45分過ぎにペナルティーエリアに入られ足を掛けてしまいPkを献上。Pkを決められてしまい試合終了。アジア最強とか言われていたので、この辺で一度天狗になっていた鼻を折られ、初心にもどって欲しいと思う今日この頃、皆さんは如何お過ごしでしょうか。
スタッフの杉森です。

前述と同じ私もやらかしました。1月10日のブログ「福井に来た時は是非行ってみてください!-福井のお城達-」で一番初めにデカデカと写真が載っているのに、何も触れていない事に気付いたので「丸岡城」をご紹介したいと思います。慌てています。

 

久しぶりに「丸岡城」に行ってみました。入場料を払い、入場券を貰うと"丸岡城の繊ネーム"が付いており、前に来た時よりもグレードアップしていました。

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「丸岡城」は別名「霞ヶ城」とも言われています。この名の由来は合戦時に大蛇が現れて霞を吹き、城を隠した伝説からこう呼ばれています。そして北陸地方で現存する雄一の天守をもつ「丸岡城」は、戦国時代を生き抜いた城ともいわれています。
そんな事も噛みしめながら、急な階段を上がり、天守閣内に入りました。

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天守閣中に入ると、男心くすぐる「丸岡城」のジオラマが鎮座していました。こういった物は、いくらでも眺めていれるし、何かこう作ってやろうと欲望が高まってきます。
また、「丸岡城」は「柴田勝家」の甥、「柴田勝豊」が築城し初代城主となりました。その後、勝豊は滋賀の長浜城と移動になり、代って城主となったのが「安井家清」です。しかし、賤ヶ岳の戦いにより勝家が滅ぼされると「丹羽長秀」の物となり、これで落ち着くかと思った矢先”関ヶ原の戦い”で「徳川家康」が勝利すると家康の次男秀康の家臣「今村盛次」が入城し城主となりました。ですが”越前騒動”のせいで失脚。そして「本多成重」が城主となったのです。
 

この石の鯱は、もとは木彫銅板張りであったものを、昭和15年~の修理の際に、石製に改めました。その当時は戦時中で銅板の入手が困難であったため、石瓦と同じ石材で作り替えられました。

「丸岡城 天守」、「お天守前公園」を"NAKED,INC"演出、プロジェクションマッピングが行われます。"NAKED,INC"は、東京駅プロジェクションマッピング"も手掛けています。

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一枚目北側、二枚目西側、三枚目南側 なかなか危ないところを通って天守閣を一周を撮ってみました。西側は人ひとり通れるぐらいのスペースしかなく、結構なスリルを味わいました。この天守閣は1576年から今日までこの場所で、坂井平野、丸岡町の変化を見続けていたかと思うと、歴史のロマンを感じます。いろんな角度から見てみると新たな発見も出てくるので、お城廻りはやめられません。

今回は以上になります。本当に行くたびに何か見つけられるので、休暇村越前三国にお泊りの際には、ぜひ旅行の計画の1つに入れて見てください。

「丸岡城」 福井県坂井市丸岡町霞町1-59 休暇村越前三国より車で約30分 入場料\450

ちなみに↓

 

「丸岡城」のふもとに「丸岡観光情報センター」ができるそうです。来年2月完成予定でしたが、来年末(12月12日)まで延びたみたいです。とても待ち遠しいです。

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