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2024.02.28

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家康より一文字を賜った刀鍛冶 -「越前康継」-

スタッフ:杉森

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こんにちは!
体がついていきません。2月というのに20℃近くになり暑くなったり、暑くなったと思ったら10℃以下になったり、本当に体がついていきません。これでは体の調子が悪くなると思い、銭湯のサウナへ整えに行ってきました。久しぶりだったので初めは辛かったですが、慣れてくると汗が噴き出て限界まで我慢し、汗をサッとシャワーで流し、待望の水風呂へ。はじめは冷たいですが、慣れてくると体全体がほんわかします。そして、水風呂をあがり休憩所で休み、これを3セット。本当に体が整う感じがします。そんな体の調整をした今日この頃、皆さんはいかがお過ごしでしょうか。
スタッフの杉森です。

今回は福井市郷土歴史博物館に行ってきました。お目当ては企画展”福井城下の刀鍛冶 -越前新刀オールスター-”です。楽しみにして行ってきましたが…

なんと撮影禁止。この写真がギリギリ線でした。ちょっと受付の人には睨まれました。実物はとても格好良く、鮮やかで、お見せできないのが本当に悔しいです。

持って帰った冊子には、全国有数の名剣の産地で知られる越前の刀工初代「康継」の由来等が書かれており、読みごたえがありました。いいものを持って帰りました。

刀工「越前康継」
江戸時代、越前は全国有数の刀剣の産地として知られていました。その中でも最大の刀工集団が戦国時代末期に近江国から越前に移住したとされる「下坂派」であり、その代表的存在が初代康継です。初代康継は「下坂市左衛門」と名乗ったと言われ、 近江国坂田郡下坂郷 (滋賀県長浜市)で活動していた刀工集団「下坂鍛冶」の中心的存在であったとみられています。
戦国時代末期に越前に移住、結城秀康(徳川家康の次男、初代福井藩主)のお抱え鍛冶となりました。その後家康・秀忠により江戸に招請され、刀を鍛えた際に徳川家の家紋である葵紋と家康の「康」の字を拝領し、康継と名乗るようになりました。

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「康継」の名は初代以降も代々受け継がれ、子である康悦も二代康継を名乗り、初代に劣らない技量で名作を多く遺しています。
二代康継没後、三代目継承をめぐり紛争が起きますが、福井藩重臣や幕府役人達の仲介により江戸と越前の2つの下坂家に分立。それぞれ将軍家お抱え、福井藩お抱えの刀工として「康継」を名乗り存続します。越前・江戸の両家とも幕末まで刀工の名門として存続し、刀のほか鐔などでも趣深い作を遺しています。
写真の場所は、近江国から越前に移住して刀鍛冶としての功績を称えて、広く世間に知ってもらうために建てられた「康継顕彰碑」です。

今回のご紹介は以上になります。福井市立郷土歴史博物館の近くにあるので、来られる際には寄ってみるのもいいかと思います。もちろん休暇村越前三国もお忘れなく。

「康継顕彰碑」 福井県福井市宝永2-8-4 休暇村越前三国より車で約50分 
 

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