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旅行記

2025.05.24

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今回のまかない:3月佐渡の旅編

スタッフ:休暇村まかない生活36年

皆様こんにちは!
スタッフ名は「休暇村まかない生活36年」毎週土曜日担当の松本です。
休暇村越前三国では4年目。休暇村35か所のうちキャンプ場や出向した国民宿舎を含め13施設を経験して現在に至っています。

上記のキャンプ場!が休暇村?
以前休暇村にはキャンプ場だけの休暇村が存在していました。それが「佐渡関岬(せきざき)オートキャンプ場」です。
私は初代管理人として愛知県の茶臼山高原から佐渡島に渡り赴任しました。
今回の同行者は5代目管理人M本さんと開設準備時研修生だったA木さん

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場所は佐渡汽船新潟フェリーターミナル。新潟港発9:25分のフェリー乗車前の朝食です。
唯一営業中店舗での「朝カレー」です。新潟市と言えば「新潟交通バスセンターのカレー」が有名ですが今回は「フェリーターミナルのカレー」です。

私含め3名は越前三国に前日集合、翌朝3時に出発。福井から新潟まで車で5時間半、フェリーで2時間半で両津港到着。目的のキャンプ場までは車で約1時間20分程の所要時間です。
まずは今のキャンプ場の様子を見に行きました。

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キャンプ場はまだ休業中でしたが車でキャンプ場までは行く事ができました。
見慣れた各サイト内の状況と海の向こうの大野亀方面の風景が懐かしく感じます。
キャンプサイト内にコテージが増設、キャンプセンター内にもサウナ施設やカフェを改装・増築
している点が変わったところで建物外の樹木も30年が経過し見事な枝ぶりです。

今回の佐渡旅は、私が当時28歳、休暇村勤続7年目の頃です。ちょうど30年が経過するので、お世話になった地域の人たちにお会いする事を目的にお伺いしました。

佐渡の赴任は初代から11代までキャンプ場管理人として独身者が2年間勤務。秋以降は冬のスキー場の休暇村に応援派遣として赴くスタイルです。初代当時は本社部長職が支配人役で2代目以降は休暇村妙高が所属先となりました。また管理人として赴くのは基本1名で、地元で働く方を雇用し繁忙期にはアルバイトを採用、本社や所属村では研修生応援や広報をサポートする役割です。

平成7年開設でこの当時もキャンプブームの時代、全国にオートキャンプ場が開設ラッシュ!!
情報誌も多数存在していました。佐渡での赴任期間は2年間(1名のみ4年勤務)のべ24年間を
休暇村が運営その後指定管理者が地元企業に移り現在の運営体制に至っています。

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休暇村まかない生活 転勤先3か所目にして最大のピンチを迎えます。
私しかいないので自炊生活を余儀なくされます。夏にはアルバイト研修生がキャンプセンター内の部屋で住む計画を立てています。また女性スタッフもいる場合は別の場所で住む場所を用意しなくてはいけません。まずは相談に伺ったのが今回の宴会先の主、当時相川町役場収入役の安藤寿彦さん・奥様のサツエさんです。

その後もキャンプ場から下った集落「関(せき)地区」の方に相談といってはご自宅に訪問し、相談しているうちにお茶からお酒になり、夕飯まで頂くようになってきます。2週間後には近くの国民宿舎「海府荘」で正式に夕食を準備してもらい、夏休み女性アルバイト部屋の受け入れ先を安藤さん自宅離れの部屋を貸していただくことになりました。

週末にはキャンプ場草刈りもお手伝いいただく方がいるというか、キャンプ場開設前はこの土地の地主で草木の管理をしていた方々でした。

毎回休暇村の新たな管理人が来ると楽しみにしていて、またよく面倒を見てもらっていました。

(安藤夫婦、相馬さん、キャンプ場隣接牧野の石塚さん、海府荘オーナー地多さん夫婦が参加)
 

佐渡のキャンプ場開設の1年後
平成8年に三国ではホテルとキャンプ場がオープン!

平成8年は「国民休暇村」から「休暇村」変更になった年でした。(写真は人気のケビン!)

おもてなし半端ない!夕食後、入浴・布団も準備してもらい、翌日の朝食です。
親しかった方のお墓参りをして10時頃、関を出発、帰路となりました。
皆様本当にありがとうございました!!

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