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旅行記

2025.12.13

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ファミリーキャンプ/夏の日の想い出

スタッフ:休暇村まかない生活36年

◆休暇村茶臼山高原を愛する会
◆30年前、当時もキャンプブームの始まりだった!

皆さんこんにちは!
スタッフ名は「休暇村まかない生活36年」土曜日担当の松本です。

今月初め愛知県最高峰、茶臼山高原でのお話です。
(本日のまかないメニューはお休みします。)
1992年~1994年の3年間、当時の私は2か所目の休暇村勤務、年齢は25歳~27歳。
現在も茶臼山で勤務している当時も今も”親方”と呼ばれた方の号令で集まることになりました。

◆休暇村茶臼山高原を愛する会
・当時のキャラクターはタヌキの「ポン太」(ヤギの「メー太」ではありません。)
 今ではナイトサファリ・野生の鹿キャラが上回っています。
 写真は当時の課長八〇さん、支配人竹〇さん
・茶臼山に18歳の新入職員が入社。(30数年前)
 長野県出身、二人とも乗鞍高原志望でしたが茶臼山を紹介されて入社したのでした。
・皆様の近況報告や勤務当時の懐かしい話で盛り上がります。
 

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ちなみにこのメンバー時代は、売上2億円代を突破。最高売上が1995年でしたので、多くの方に茶臼山高原をご利用いただきました。人里から離れた場所ですが、地元の方、長期アルバイトの方、スタッフ不足も解消して体制も整いホテル・キャンプ場・コテージも大変賑わいの時期でした。

茶臼山OB会でも良いのですが、勤務した年代も限定的、久々の盛〇さん、号令を出した”親方”と共に勤務した田〇さん、谷〇さん、金〇さん、北〇さん、女性陣(チズ・ユカ)、学生時代とその後の2年間を茶臼山にささげた津〇くん、愛知Sメディア伊〇さん、地元クマさんもお越しいただきましたので、”愛する会”名称にしました。
そして現職の方も参加されての記念撮影です。(〇松さんも元気に在職中です)

記念写真撮影後に解散。
ちょっとキャンプ場を見学。

入口付近がメインサイトとなりますが奥側にも常設テントサイトがあり、徒歩で下ります。

下ってゆくと当時から30年経過しているので立派なスギ・ヒノキが成木となっていました。
当時も間伐を行っていたのでその木をキャンプファイヤー用木材としてよく使っていました。
常設サイト周辺もスギ林が密集しています。
昔は木を切る事が許可されませんでしたが、今こそ自然任せでなく、最適な建築材で更新の期間だと思いました。
・キジ・キツツキ常設サイトは傾斜地。
・テントサイトまで車が乗入れ不可。
・新たな利用計画が望まれます。

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懐かしい思い出の管理棟です。夏休み期間は研修生(休暇村入社1年目)のスタッフがキャンプ場の管理を努めます。

当時夏休みファミリーキャンプ終了時の記念写真。23組60名程の参加。

当時の竹〇支配人の営業方針「小さくともキラリと光るダイヤモンドでありたい!」
小さな休暇村でも一生懸命頑張れば、お客様や休暇村組織の中でも魅力的で注目される存在になれる。全国の休暇村課長・調理長会議会場として、不便な場所にある茶臼山高原が選定されたり
若手の海外視察研修が初めて行われ、茶臼山職員が2年連続で選抜されるなど嬉しい事が色々とありました。

◆30年前、当時もキャンプブームの始まりだった!
夏休み週末ファミリーキャンプ(1泊2日)五平餅作り、BBQ、キャンプファイヤー、朝食パン作り、巣箱作りの工程を行います。数日前から準備していますが、一般のキャンパー受入れも行わなければいけないので、急遽本社総務部の週末が休日だった、滝〇さんを呼んで手伝いをお願いして何とか無事にイベントが楽しくできたのが一番印象に残る茶臼山の思い出です。

翌年3月に内示があり3か所目勤務先として新設される佐渡のキャンプ場勤務が決まりました。
茶臼山高原より小さい村の転勤は今後もないと思っていましたが、まさか1人管理人になるとは、反面、私が実質支配人。
これから佐渡(関岬)の歴史を作る役目を任されました。

茶臼山から佐渡に出発する前に記念撮影。

独身で2年~3年で転勤を繰り返す年代でした。
様々な方と出会って、貴重な経験を重ねました。

休暇村と毎日のまかないを作ってくださる方に感謝します。

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