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2022.05.25

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男のロマンと一攫千金 北前船主右近家

スタッフ:杉森

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荒波をこえた男たちの夢

おはようございます。スタッフの杉森です。
今回は気分を変えてドライブがてら「北前船主の館・右近家」へ行ってきました。迎えてくれたのは北前船のモニュメント。「正直こんな木製の船で波の荒い日本海を進むのはリスクが高いなぁ」と感じました。しかし、この北前船で海へ出ることで大きな夢を見せてくれたそうです。もともと北前船とは近江商人の荷所船として松前蝦夷地と三国、河野、敦賀等を結ぶ日本海を往復していた船の事です。後に運ぶだけの荷所船から、自ら商品を仕入販売する買積み商いも行うようになっていったそうです。右近権左衛門家はお寺の分家として船一隻をもらい受け、他の河野浦の者と同様に近江商人の荷所船として活動していましたが、大阪の問屋商人と廻船を共同経営する積極経営を展開し廻船を増やしていきました。1853年時点の所有廻船は3隻、利益が1,600両(2億8千万円)でしたが、10年後には所有廻船は11隻、利益は12,000両(21億円)に達しています。男のロマン!!!

日本海最大の寄港町”三国町”で進化した「三国箪笥」
「船は沈むが箪笥は浮く」船箪笥の条件

まず、海に浮く程の気密性が必要です。重要品等が中に有る為、海難事故に逢ったときは船と共に沈まぬよう真っ先に海に投げ出されます。中の物を失うことなく漂流させる高い気密性が必須だったそうです。

河野北前船主通りは、右近家の他に日本海有数の北前船主「中村家」も軒を連ねています。

右近家は、日本海五大船主に数えられる船主です。後に海運の近代化を進め日本海上保険会社を創設しました。

右近家の隆盛はずっと続くと思われていましたが、海難事故の多発により「和船禁止令」や鉄道網の設置等、衰退の一途を辿り始めます。その時、右近家の人々はどの様な思いでこの海を眺めていたのでしょうか。

余談ですが、福井の有名人”五木ひろし”さんが「北前船」というロック調の歌謡曲をリリースしています。カップリングは北前船寄港地60ヵ所を歌詞に盛り込んだご当地ソングだそうです。ファンの方は一度お聞きになってみて下さい。

今回は、資料館の中の撮影が禁止だった為、写真をアップできませんでした。中には上り旗、福井丸の模型、アイヌ民族の衣装、その他色々な物が展示してあったので一見の価値ありです。福井に来られた際は是非お寄り下さい。オススメです!

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