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2022.10.19
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スタッフ:杉森

第九弾になりました三国町の歴史案内は、「妙海寺・三國湊城跡」を紹介します。
「妙海寺」の北西墓地が「三國湊城跡」だそうです。「三國湊城」は、とにかく負け続けた城とも言えます。始めは「新田義貞」弟の家臣「畑時能」が居城としていましたが、「新田義貞」が戦死すると「畑時能」は城を出て奮戦し戦死しました。続いては「朝倉氏」です。一向一揆が越前に侵入した際、朝倉方は三國港城に拠って防戦したが、全て焼失してしまいました。後に、「朝倉義景」の近臣・「桜井新左衛門」が居城としたが、「桜井氏」はに「織田信長」と戦って大敗した「朝倉義景」が大野へ逃れるのに付き従ったそうです。どうも、あまり運の無い城だった様です。

ここが、三國湊城跡地です。江戸期には港会所、明治期には郡役所が置かれたそうです。

「妙海寺」の北参道です。少し、お堀の様に見え、城跡だとつくづく感じ取れました。





「妙海寺」の山門は宝形屋根、桟瓦葺、一間一戸、四脚鐘楼門、接続している袖壁には左右共に潜戸付、外壁は柱のみの吹き放し、上層部中央桁上部には花頭窓風の欠き込み、高欄付、「重光山」の山号額が掲げられています。本堂は木造平屋建、宝形造り、内部には本尊である十界曼陀羅が掲げられています。また、永正寺17世永言の下で教育され俳人としても名を馳せていた「哥川」の句碑「おく底のしれぬ寒さや海の音」が建立されています。やはり、多数の遊里があり遊女達も文化教養を求められていたのですね。今回の三国町の歴史案内「妙海寺・三國湊城跡」はいかがでしょうか?分かりにくい場所ですが、細い道から川が見え映画のワンシーンの様なところです。
「妙海寺」 福井県坂井市三国町山王2丁目5−40 休暇村越前三国から車で約20分
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