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2023.02.08
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スタッフ:杉森

こんばんは。スタッフの杉森です。
今回は小浜市に用事があったので、小浜に伝わる「八百比丘尼伝説」をご紹介したいと思います。
まず「八百比丘尼の伝説」とは、全国各地で同じ様な話があります。"海(竜宮城)で接待を受けますが、目の前で人魚の肉を差し出され、どうしても食べれず持ち帰らせてもらいます。家に帰り肉の事はすっかり忘れてしまい、娘がそれを見つけ、あまりにも美味しそうで食べてしまうと不老不死になり、数々(39人の夫)の死に直面します。その後、尼(八百比丘尼)になり諸国行脚の末、故郷に戻りその生涯を閉じる"と言うの大体の流れです。この様な伝説、話が各地に存在しますが、どの伝説、話も若狭、小浜の地で最後を迎える事が大半のようです。

八百比丘尼が亡くなった場所については、小浜でもいくつもの説があります。その一つは、奈良東大寺のお水取り行事で有名な遠敷郡鵜の瀬近辺が、八百比丘尼の出身地であるという伝説が残されている。第21代雄略天皇の時代、この地に住んでいた道満という者に娘が生まれ、その娘はいつまで経っても無病長寿のまま生き続け、ついにはその年齢を知る者がいなくなってしまったが、ある時、自分が800歳の長寿を保っていることを人々に告げたという。そして明徳元年タイトルにも出ている空印寺の裏山の一角にある八百姫神社で亡くなったという説。もう一つは、八百比丘尼がこの生まれ故郷で亡くなったとされる。長らく生きて欲をなくした比丘尼は仏縁を求め、「自分を棺に入れて埋めて欲しい。ずっと鉦を叩き続けているので、その音を聞くための空気穴となる竹を1本挿し込んでおいて欲しい。そして音が聞こえなくなったら死んだものとしてくれ」と家人に頼んで入定(即身成仏)したという説もあります。

最も有力な説は、小浜藩酒井家の菩提寺である空印寺の境内に「八百比丘尼入定洞」という洞窟で。654年に生まれ、1451年に京都を訪れ、小浜に戻り800才でこの洞窟に入定したという説です。

空印寺は始め建康寺と称され、2代藩主酒井忠直が酒井忠勝の七回忌法要を執り行うに当たり1688年俯瞰を増築し、空印寺となった。空印は忠勝の法号だそうです。
他の伝説などは、山の中で野宿していた息子が馨しい香りを放つ「養老の滝」を見つけ、これを病気の父親に飲ませたところ、たちまち病が治ったり、ご神体のほら貝にお神酒をいれて飲むと不老長寿の仙薬になったり、酒のなかへ桃の花を浮かせて飲むことで若返った話等、わりかし日常にある物が、病気が治したり、不老長寿や若返りの効力を発揮するが、八百比丘尼伝説では「人魚の肉」という非日常的な物登場します。ですが、話の中では年代、家柄、寺院の建立等、しっかりとしたものが記されています。勝手な想像ですが、17~20歳の女性が働く世襲制の家柄だったかもしれません。初めの「人魚の肉」は、人の物を盗み食べてしまった罰としてこの家柄ができ、そして諸国をめぐり、各地の社寺を修理したり、道路を拓き、橋をかけたりしたのではないかと思います。
この様に歴史を自分なりに調べ想像するのも楽しいもんだと思います。是非一度、皆さんも自分の地元の伝説などを勝手に想像してみてはいかがですか。
今回の「八百比丘尼伝説」は以上になります。一番初めの写真は「マーメイドテラス」で海に沈む夕日は絶景のフォトスポットです。もちろん八百比丘尼がモチーフです。「空印寺」と一緒に訪れてみませんか。休暇村越前三国もお待ちしております。
空印寺 福井県小浜市小浜男山2 休暇村越前三国より車で約120分
マーメイドテラス 福井県小浜市日吉 休暇村越前三国より車で約120分
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