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2019.12.14
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スタッフ:小森克敬
1702年12月14日の夜でした。 (実際には15日の早朝)
あれから307年。忠臣蔵の一件と豊岡には、深い縁がございまして・・・。
忠臣蔵の首謀者といえば、大石内蔵助ですが、その奥様である大石りくは、豊岡の出身なのです。

1669年に豊岡京町で生まれたりくは、19歳の時に赤穂藩の筆頭家老である大石家へ嫁ぎます。現在も豊岡市立図書館の近くに、生誕地の碑が立っています。
赤穂で平穏な生活を送っていたりくの人生は、江戸城松の廊下における、浅野内匠頭での刃傷沙汰により一転。

討ち入り前の1702年に内蔵助と離縁。子どもたちを連れて、京都の山科から豊岡の実家へと帰ってきます。
翌年、義士が本懐を遂げた後は、剃髪して仏門に入り夫や息子、義士たちの冥福を祈り続けたんだそう。
晩年は、三男の代三郎が浅野候に仕えた縁で広島県に移り住み、68歳でその生涯を終えました。
りくのお墓は、広島の国泰寺に。豊岡の正福寺には遺髪が埋葬されています。


豊岡駅から南へ1キロ。豊岡藩「京極家」の菩提寺であった瑞泰寺の跡地に、りくの実家である石束家のお墓がひっそりと。期間限定の黄色い絨毯がキレイでした!(12/9撮影)
あれから307年。
このイチョウの大木は、どこまでの歴史を見てきたのでしょうか。
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