鉄道開業150年と網張温泉
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スタッフ名:鎌尾
「鉄道の父」井上勝
写真は「日本の鉄道の父」の異名を持つ、明治の先人、井上勝(いのうえまさる)です。
井上聞多(井上馨)、遠藤謹助、山尾庸三、伊藤俊輔(伊藤博文)らと並んで、「長州五傑」(長州ファイブ)の1人に数えられています。
今年は新橋~横浜間に日本初の鉄道が開業してから150年。JR東日本では記念イベントや記念きっぷの発売が行われています。井上勝は開業当初は測量など実際の工事に直接携わり、その後の路線拡大期には初代・鉄道庁長官として生涯鉄道事業に関わったため、「日本の鉄道の父」と呼ばれています。
東北本線と網張温泉
現在の網張温泉の祖形は、明治20年・1887年、旧滝沢村(現滝沢市)出身の県議・澤村亀之助氏によって、大釈温泉の名で開かれました。現在の日帰り温泉館のあたりです。
写真は明治27年・1894年頃の大釈温泉の様子です。
一方の鉄道の方は、新橋~横浜間の開業(1872年・明治5年)から18年後の1890年・明治23年に東北本線が仙台から盛岡まで延伸し、盛岡駅が開業しました。大釈温泉の開業から3年後です。
この東北本線の延伸工事の視察に盛岡を訪れた際、井上勝は県令(現在の県知事)の石井省一郎の紹介で、澤村亀之助が開いた大釈温泉に立ち寄っています。
石井省一郎は小倉藩出身で、”土木の石井”の異名があり、得意分野を活かして当時の岩手県のインフラ整備を行っていました。盛岡から大釈温泉までの街道「旧網張街道」を整備したのもこの頃です。
小岩井農場の創設
石井県令が整備した旧網張街道を大釈温泉に向かって馬車で進んでいた井上勝が目にしたのは、岩手山の裾野に広がる、見渡す限り続く広大な荒地でした。
この広大な荒地を開墾し、近代的な農場を開こう、そう考えたのが井上勝です。
この農場は井上勝を含む3人の創設者の頭文字を取って「小岩井」と名付けられました。
小岩井の小は小野義眞(日本鉄道株式会社副社長)、岩は岩崎弥之助(三菱社社長)、そして井は井上勝です。
諸説あるようですが、鉄道建設のために美田(美しい田畑)を潰した償い(つぐない)のため、と後に娘さんに述懐した、とも言われています。
小岩井農場を貫く「旧網張街道」
農場開発着想の舞台となった旧網張街道ですが、今はその大半は田畑になりかき消されてしまいましたが、小岩井農場の敷地内だけは今もその姿をとどめています。
代々農場の従業員らによって大切に保存され、非常に立派に育った杉並木にはアジサイが植栽され、雫石に夏を告げる風物詩となっています。