ブログ

2022.11.03

盛岡と横浜 意外なつながり

1,237 view

スタッフ名:鎌尾

画像1
『高島易断』を確立した占い師にして実業家 高島嘉右衛門
先日のブログでは「日本の鉄道の父」井上勝を取り上げましたが、今日はその鉄道つながりでもう1人の人物を紹介いたします。
高島嘉右衛門(たかしまかえもん)。
「高島易断」と聞けば、”あ!あの!”と思われる方もいらっしゃるでしょう。
毎年この時期になると書店に積まれる、1年365日の吉凶が書かれたあの本です。
「高島暦」などと称されていることもあります。
毎年かなりの部数が出ているように見えますので、今も根強いファンがいるというか、日常の指針にされている方がそれなりにいらっしゃるということなのでしょうね。

この方、10代の頃、父の営む材木商や普請請負業(今でいう工務店、建築会社)の手伝いをしていましたが、その関係で盛岡藩の製鉄業にも従事していたことがあるようで、東北地方で7年間働いていたようです。

多感な時代を東北地方で過ごしたことがその後の人生の選択にも影響したのかどうかわかりませんが、のちに横浜で普請請負業で一代を築き、官軍に抵抗し賊軍扱いとなってしまった盛岡藩に70万両を寄付して救ったとされています。

また、その頃、政府高官や外国人を受け入れる旅館が横浜にはなかったことから「高島屋」という豪華な旅館を建て、そこに出入りしていた伊藤広文や大隈重信らと親交を深めていきました。
高島嘉右衛門もまた井上勝のように、鉄道を全国に敷設し人が自由に行き来できるようにすれば国力が上がる、という持論を持っていたようです。
「高島屋」での要人とのつながりが、新橋―横浜間にできた日本初の鉄道を作った際の難工事として知られる海上築堤の工事請負につながりました。

その後、高島嘉右衛門は青森までの鉄道敷設を政府に建言、それが日本初の私鉄・日本鉄道株式会社(現在のJR東日本の前身)の誕生につながります。いわば、”言い出しっぺ”だったわけですね。
日本鉄道株式会社は高崎―郡山―仙台―盛岡―青森と続く現在の東北本線を作り上げましたが、この時、当初は佐賀藩が、のちに盛岡藩が資金を融通した、とされています。
この東北本線の工事の進捗状況を鉄道庁長官として視察に訪れたのが井上勝、というわけです。

高島嘉右衛門という人はきっと人を惹きつける話術に長けた人だったのでしょう。
この人柄が占いの信ぴょう性を高めたのかも知れません。

卑弥呼の時代から政治と占いは縁が深いもの、科学が発達した近年の政治家でさえ、宗教や占いとは無縁ではない様子を見ると、益々そう思いますし、高島嘉右衛門が要人たちとつながることができたのもうなづけるような気がします。

現場主義で政治権力からは距離をおいていた井上勝、内外の要人たちとつながりを持ち事業を成した高島嘉右衛門、対照的に見えて、公共の発展に重きを置いていたことがうかがえるところは二人の共通点かも知れません。

遠く離れた横浜と盛岡。
鉄道に関わった二人の先人によって見えない繋がりがありました。

スタッフ

Staff blog

Archive

2026年(226)
2025年(484)
2024年(562)
2023年(411)
2022年(336)
2021年(330)
2020年(236)
2019年(232)
2018年(335)
2017年(224)
PAGE TOP