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2026.06.24

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大正時代の支笏湖鉄道旅

スタッフ:戸倉

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支笏湖の湖畔には、「山線鉄橋」と呼ばれる、ひときわ目立つ赤色の鉄橋があります。

これは1908年から1951年までの間、苫小牧から支笏湖畔までを結んでいた「王子軽便鉄道」の遺構で、最初は北海道官設鉄道上川線の空知川に架けられていたものが、1923年に移設されてきたものになります。

今はほとんどその鉄橋だけに面影を残す王子軽便鉄道ですが、この鉄橋に鉄道が走っていた頃の支笏湖の様子はどんなものだったのでしょうか。

1925年に出版された『北海道と樺太』(大阪市教育会編)は、当時の大阪の教育関係者たちが、北海道や樺太を1924年7月26日から20日間にわたって視察した様子を綴った書籍です。
彼らはその復路で、苫小牧から支笏湖へ向かってこの軽便鉄道を使って移動していました。

「さて、今日の予定は支笏湖見物である。〔中略〕会社私営の山線発着所に行く。山線といふのは木材運搬、山林経営、発電所付近との連絡の為、会社の作つた軽便線で乗客目的のものでない。貨物車の中に這ひこむだり、白幕はつたバラック式の客車におしこむだりして乗るのだ。」
(大阪市教育会編『北海道と樺太』181~182ページ)

もともと王子製紙の専用路線だった王子軽便鉄道は、資材運搬を目的としていたため、切符の裏には「人命の危険は保証せず」と書かれていたそうです。そんな王子軽便鉄道での旅の様子が伝わってきます。

車内の様子は、7月の暑い日盛りに「山に入れば、沸々と熱気が面を打つ、かてゝ加へて、勾配を上る機関車は、ありたけの馬力をかける事とて動揺、喧騒、パラパラ煤煙が雨となる。汗と煙に真黒になつてしまふ。」(同書、182ページ)といった過酷なものであったと書かれています。

大正時代の旅行客は、それでも観光のために軽便鉄道を使って支笏湖を訪れてきました。

1927年に出版された田中阿歌麿著『湖沼巡礼:趣味と伝説』では、支笏湖の景色についてこう記しています。

「水色は美しい紺碧で且風起れば波浪宛然大海の如く怒涛鞺々〔どとうとうとう〕として砂浜に打上げる其態は水色濃紺なるが故に恰〔あたか〕も南洋の海を温帯の北部に運んで来た感がある。」(田中阿歌麿著『湖沼巡礼:趣味と伝説』33ページ)

支笏湖の青さは約100年前にも美しいと語られるもので、同書では「惜しむらくは此絶景の未だ世界に紹介されないことは予の甚だ遺憾とする所である」(同書、33ページ)と言われるほどのものとされています。

山線鉄橋を眺めながら、そんなかつての観光の様子に想いを馳せるのも、歴史ある観光地である支笏湖の楽しみ方だと思います。

引用元
・大阪市教育会 編『北海道と樺太』,大阪市教育会,大正14. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/983203 (参照 2026-06-23)

・田中阿歌麿 著『湖沼巡礼 : 趣味と伝説』,日本学術普及会,昭和2. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1189650 (参照 2026-06-23)

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