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2018.11.10

「漢委奴國王」金印はなぜ志賀島に秘匿されたのか

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スタッフ名:土居

「漢委奴國王」金印はなぜ志賀島に秘匿されたのか vol.1

「漢委奴國王」の金印は、江戸時代に福岡県福岡市東区志賀島叶ノ浜あたりで「一巨石の下に三石周囲して匣(はこ)の形をした中」から発掘されました。印字の読みは三宅米吉により「漢の倭の奴の国王」と解され、これが一般的になっています。
『魏志倭人伝』に登場する奴国を古代の儺県(なのあがた)、いまの福岡平野に比定されて以来この説が有力とされております。
しかしながら、この読み下しでは、「倭国の中の奴国の王」となり、国名が二重に記され、不合理であるとの指摘もあります。
他方、「漢の委奴(いと)国王」と読み下す説もあり、委奴国を伊都国に比定しています。
しかし、金印が見つかったのは、志賀島であり、奴国比定地となり矛盾します。
現在、奴国と伊都国は、博多湾をはさんで、北東側(志賀島を含む旧儺県)が奴国、南西側対岸が伊都国と比定されており、後漢光武帝からこの金印を下賜され際(57年)にはまだ、両国が並立することはなく、この地域は金印のごとく「委奴(ゐな)國」と呼ばれていたのではないかと思います。
金印は調べれば調べるほど奥が深く正解は見出せないと思いますが、またそこに魅力を感じます。
続きはまた次回に書きたいと思います。

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