林業遺産「県民の森石碑」と偉人「渋江内膳政光」
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スタッフ名:藤原
乳頭温泉郷から車で30分程、田沢湖畔キャンプ場を抜けてすぐのところに「県民の森」があります。
昭和43年「全国植樹祭」、昭和53年「全国育樹祭」の会場となったことでも知られるこの公園には、
各県・各国から集めた多くの樹木が植えられており、初秋の9月現在緑豊かな風景の中での散策を楽しむことができます。
ここに令和3年に林業遺産として登録された石碑が存在します。
この石碑に書かれた言葉「国の宝は山であり、山の衰えは国衰である」
これを遺言として残した人物が、江戸時代に久保田藩(秋田藩)の家老として藩政改革に尽力した渋江"内膳"政光です。
渋江
下野国(栃木県)を拠点としていた小山氏家臣の子として生まれた政光でしたが、
豊臣秀吉の行った小田原合戦時の混乱により処分を受け浪人の身になります。
しかし20歳の時、後に久保田藩初代藩主となる佐竹氏19代当主佐竹義宣の家臣として仕えることに。
その後政光は関ヶ原の戦い後の減転封政策により茨城から秋田に移った佐竹家の中で頭角を現し、
浪人の身から一転家老(武家家臣の最高職)に抜擢されます。
ここで政光は循環可能な資源を生み出す林業保全を藩制度として推し進め、藩財政の安定化に貢献します。
旧家臣からの反発により義宣もろとも暗殺されかける(川井事件)等の修羅場を乗り越えながら久保田藩を守っていた政光でしたが、
主君・義宣と共に参戦した慶長19年の大坂冬の陣にて戦死してしまいます。
前述の遺言は出陣前に政光が部下に託したものとされており、その林業重視の思想はその後全国の藩の林業改革に大きな影響を与えました。
そして令和3年、その先駆的な思想が評価される形で林業遺産としてこの石碑の言葉が登録されることになりました。
そんな彼の思想を後世に残した「県民の森」は季節によりいろいろな表情を見せてくれるおすすめスポットです。
田沢湖への旅の際には、ぜひお立ち寄りください。
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