小京都角館城下町の歴史を知る
514 view
スタッフ名:藤原
歴史ある武家屋敷の城下町が広がり、四季によって雰囲気が大きく変わる「みちのくの小京都」角館
今回はそんな角館城下町の歴史について簡単に解説したいと思います!
前史
江戸時代以前の戦国時代中期、ここ角館を治めていたのは戸沢氏と呼ばれる武家でした。
1400年代後半にここ角館にやってきたとされる戸沢氏は北側の小松山に角館城と呼ばれる山城を築城し、
現在の岩手県~青森県東部を領していた南部氏からの独立を目指し各地で戦っていきます。
その過程で小松山麓に出来たとされる城下町が現在の城下町のベースとなっていると言われています。
(写真は角館北の角館城跡です。現在は立ち入りが禁止されています)
角館城下町の誕生
関ヶ原の戦い後の1602年、茨城県を拠点として活動していた戦国大名佐竹氏が秋田へと入部、
久保田藩と呼ばれる藩が秋田に誕生します。
初代久保田藩主の佐竹義宣は角館の地に弟である蘆名義広を派遣、この地を治めさせます。
義広が派遣されてきた当初の角館の城下町は戦国時代特有の天然の要害でした。
北に本拠地を置き、南と西には川を配置し東には大きい丘がある地形となっており、
敵からの襲撃に対しての防御力に特化していたとされています。
しかし反対に城下町は狭く、水害や火災などに弱いと言う弱点がありました。
それを知った義広は城下町の拡張を決定します。
義広は城下町を縦に広げ、道路の幅を広くし城下町全体を拡張させると、
下水を整備して火事への対策を徹底させてその地武家、町人、寺社の3つの区画に分けました。
ちなみに角館通りを歩くと途中桝形になり一見行き止まりのように見える場所があります。
これは見通しを悪くすることで敵の襲来に備える城下町防衛の手法で、
約400年を経た今でも、その町割りがほとんど変わっていないことが分かります。
1620年の一国一城令により角館城は廃城となりましたが、義広は小松山の麓に本拠地を作り
1631年に亡くなるまで角館城下町の発展に尽力しました。
みちのくの小京都の誕生
1656年に蘆名氏に代わり佐竹北家が新たに角館の統治を行います。
佐竹北家の佐竹義隣は京都の貴族階級の出身でした。
過去に住んだ京都を懐かしんだ義隣は京文化を積極的に角館に移入するようになっていきます。
そして二代義明の妻が自身の嫁入り道具の桜の苗木をこの地に植えます。
この桜が今日まで残る「角館のシダレザクラ」になったと伝えられています。
こうして現在の「みちのくの小京都」が誕生し、現在までその姿を変えず残っています。
以上がみちのくの小京都角館の歴史となります。
皆様が足を運ばれた際にこちらの解説を参考にしていただければ幸いです(≧▽≦)
宿泊プランはこちらから