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2025.05.01

福井と言えば「織物」 はたや記念館「ゆめおーれ勝山」

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スタッフ名:杉森

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こんにちは!
また、キャンプ場勤めのGWがやってきました。来られるお客様は、とても楽しそうで羨ましいかぎりです。しかし、働いてる私たちには、日中は暑く、夜は寒くなり、寒暖差が激しく体調を壊してしまいそうですが、頑張っていきたいと思っている今日この頃、皆さん如何お過ごしでしょうか。
スタッフの杉森です。

今回は福井の基幹産業の「織物」をご紹介したいと思います。

繊維産業の原点 「紬」の時代 -江戸時代-
福井の絹織物が名産として知られるようになったのは江戸時代終わりごろの事でした。そのころ織物は奉書紙のように純白で手触りもよかったため、「奉書紬」と呼ばれて全国に知られるようになったといいます。
 
「絹織物・羽二重」のはじまり -明治時代-
明治時代に入ると、最新の機械「バッタン機」が福井県内に数多く導入され、高い技術によってハンカチーフや洋傘地などが織られ始めました。
そして、明治20年代に、群馬県桐生地方の職人によって「羽二重」と呼ばれる絹織物の技術が福井に伝えられ、輸出用羽二重の精算が盛んになっていきます。ちょうどそのころに海外で羽二重の需要が増したこと、福井で品質管理を積極的に行って対外的な評価を高めたことなどから、明治30年代には、羽二重をはじめとする絹織物業が大きく成長しました。明治36年には、福井県は全国シェア24.8%で1位となり、国内最大の絹織物産地に躍進しました。
「羽二重」とは 平織りの白い絹地で、ひとつの目に2本の縦糸を通して織られる為、手触りが滑らかなことが特徴です。この滑らかさが白さが、福井のお菓子「羽二重餅」の原点だそうです。(諸説あります)
「人絹王国」福井 -大正時代から昭和時代へ-
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絹織物から人絹へ -大正時代-
明治時代の終わりごろから、県内各地に水力発電所が建設され、織機も人力で動かすバッタン機から動力を用いる「力織機」への転換が進められました。力織機が広まり、織物工場は急激に数を増やしていきます。大正時代の初めには県内に私鉄を含む鉄道網も整備されて大量輸送が可能になりました。さらに、大正3年の第一次世界大戦の開戦による特需で絹織物業は輸出産業として大きく発展しました。しかしその後、戦争の終結にともなう不況のために絹織物の輸出は減少しました。
ちょうどこのころ、絹糸にかわって人絹糸の国内生産が開始され、従来の絹織物業者の中から、人絹織物に活路を求めるものが増えていきました。

「人絹王国」さかえる -昭和初期-
昭和に入り、国産の人絹糸の品質と生産量がともに向上し、県内でも絹織物から人絹織物への転換が急速に進められました。最盛期の昭和10年頃には、毎年約1万台の織機が増設されて生産量が伸び、世界的な人絹織物産地として「人絹王国」と呼ばれるまでにせいちょうしました。
しかし、昭和12年の日中戦争の勃発、さらに第二次世界大戦への参戦によって、織物業は圧迫され、産地の規模は最盛期の3分の1にまで縮小されてしまいました。
戦後の復興!福井の織物技術
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戦後の復興・人絹から合繊へ -昭和中期-
福井の織物産地は、第二次世界大戦中の昭和20年の空襲、終戦後にも23年にも震災で大きな打撃を受けました。しかし、昭和24年からはじまった朝鮮戦争の特需を契機にして、めざましい回復をとげます。その後、合繊糸の国産化がすすめられ、福井でも人絹織物から合繊織物への転換が積極的に行われます。昭和30年代にはナイロン織物、40年代にはポリエステル織物の生産が急増します。40年代の末ごろには、さらに多様な製品を織る技術が導入され、福井は世界有数の合繊織物産地として知られるようになりました。

織物の技術を活かして -昭和後期から現在-
昭和40年代末から、福井の織物産業は大きな転換期を迎えました。昭和48年中東戦争と石油ショックによる不況と、韓国・台湾での繊維産業の発展により輸出量が減り、成長の度合いが低下します。さらに、昭和60年代には円高が一挙に進んだため、輸出に頼っていた福井の繊維業界は、これまでにないほどの深刻な影響をうけました。そこで繊維業界は、効率的な管理運営を行ういっぽうで、新たな製品や高度な技術を開発し、設備投資を行って生産性を上げることで、コストを大幅に下げる試みがなされました。
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~福井県の繊維産業~
福井県の繊維の歴史は古く、奈良時代には既に全国有数の絹織物産地となっていました。現在は、主力であるポリエステル等の合繊長繊維織物が全国生産量の約40%を占め国内最大の産地となっています。有名ブランドのファッション衣料はもとより、スポーツ選手のユニフォーム等の高機能衣料分野から、カーシート・エアバッグや携帯電話・パソコン・プラズマテレビ等の産業資材分野に至るまで幅広く活用されています。さらに、最先端の繊維技術も発信しています。航空機のボディや人工衛星の部品として使用されている炭素繊維織物や大型スクリーンへの展開が期待される光ファイバー織物なども「福井発」です。
昔ながらの織機を見学するなら
はたや記念館「ゆめおーれ勝山」
手織り体験、まゆ玉クラフト体験、様々な体験ができます。また、きさくなお姉さんが見学説明もしてくれます。
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今回は以上になります。
いかがでしたか?福井県は繊維産業が大変盛んで、最近ではアスリートのユニフォームや人工衛星の部品なども手掛けています。そして、羽二重からヒント得て作られた羽二重餅。つくづく繊維と関係がある福井県と思い知らされました。興味がある方は是非、はたや記念館「ゆめおーれ勝山」へ行ってみてはいかがでしょうか。ちなみに休暇村越前三国にも福井の織物をテーマにしたお部屋↑
をご用意しておりますので、ぜひお越しください。お待ちしております。

はたや記念館「ゆめおーれ勝山」 福井県勝山市昭和町1丁目7-40 休暇村越前三国より車で約120分

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