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2022.08.03

大河ドラマにちょっぴり関係したお城 「燧ヶ城跡」

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スタッフ名:杉森

~1183年に木曾義仲が築城~
画像1
今回ご紹介したいのは、福井県南越前町今庄にある「燧ヶ城跡」です。通称愛宕山に平安時代末期に築かれた標高267mの山城です。源平合戦の最中、「木曾義仲」が平家との戦いの際に、「平維盛」を迎え撃つ為に「仁科守弘」に命じ築城。北陸路から攻め入ろうとした「木曽義仲」に対し、「平維盛」の10万の大軍が押し寄せてきました。その為、日野川(写真中央線路の上)をせき止め、人工湖を造り抵抗しましたが仲間の裏切りによって堰が切られ「燧ヶ城」は落城しました。その後「木曾義仲」は越中まで後退しますが、勢いを取り戻し北陸路を進軍し見事に入京しました。
(写真は愛宕山「燧ヶ城跡」から今庄宿を見渡した風景)
 
思った以上に険しい山道を上がっていくと本丸に向かう細い階段が見えてきます。
周りを見渡すとあちらこちらに石垣があります。
長い年月を感じさせながら、やはりここはお城だったと気づかされます。
そして、いよいよ本丸跡に進んでいきます。やはりこの頃の本丸は戦国時代に比べ小スペースだったようです。もちろん山城ということも関係しています。
~北陸の一大勢力「木曾義仲」その人物像~
義仲は「敵は平家」と考え、自分の父親を殺した従兄・源義平の弟である源頼朝との私怨を抑え、衝突をしないよう配慮し行動していた。その為、源頼朝や武田信光ら甲斐源氏など、彼らの勢力が浸透していない北陸を選び一大勢力になっていきました。武将としては戦の駆け引きに優れており源氏の中で誰よりも早く入京し、平家を追い出す立役者でした。しかし、入京した時期が悪く度重なる飢餓や治安の悪化などが重なり、京での評判は芳しくありませんでした。そこを源頼朝や後白河法皇に付け込まれ非業の死を遂げました。政治は得意ではなく、武芸に秀でていた者として死を迎える最期まで深い絆で結ばれた仲間たちと共に戦いぬいたそうです。
~松尾芭蕉も愛する木曾義仲~
「義仲の寝覚めの山か月悲し」と松尾芭蕉が俳句を詠み、自分が亡くなった時は義仲の墓の横に眠らせてほしいと伝えたそうです。
この句の意味は、「この山は昔、木曾義仲が夜半に寝覚めにふり仰いで月を見た山なのか。月は今哀愁含んで白々と山を照らしている。」だそうです。それにしても、亡くなった後も墓の横に眠らせてほしいとは、心底惚れていたのでしょう。
 
今回の「燧ヶ城跡」ご紹介いかがだったでしょうか?ちょっぴり大河ドラマにも関係していますので、マニアの方は一度行ってみてはいかがでしょうか!登るにはちょっと大変なので覚悟が必要です。
※登られる際には、トレッキングシューズ、長袖、長ズボン着用をお勧めいたします。

〒919-0131 福井県南条郡南越前町「燧ヶ城跡」 休暇村越前三国より車で約60分

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