三国町の歴史案内 ~第一弾「三國神社」~
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スタッフ名:杉森
~第一弾「三國神社」~
今回から三国町の歴史をシリーズで紹介したいと思います。その第一弾は「三國神社」です。
「三國神社」は、大山昨命(山王権現)と継体天皇を祀り、地元では「おさんのさん(お山王さん)」と親しみを込めて呼ばれ、港町三国の精神的拠り所とされている場所です。
少し歴史を紐解いていくと、「三國神社」が公に登場するのが継体天皇となる男大迹王が治めた土地で、継体天皇が歿後に朝廷によって継体天皇を祀る神社として創建されたのが始まりとする伝承がありますが、実際のところ謎のようです。そして、現在の「三國神社」は1540年、竹田川の支流の兵庫川からながれてきたとされる御神体を住人が拾い、当地の正智院に納めたのに始まりとされています。1544年、正智院の院主・澄性が境内に小社を建立し1564年、澄性の弟子の澄元が現在地の桜谷を開き、山王宮を建立しました。その後、1870年、式内・三國神社の後裔であるとして山王宮は「三國神社」への改称を藩に願い出たが却下され、地名をとって「桜谷神社」に改称し、1872年、近くにあった継体天皇を祀る水門宮を合祀し、脇祭神とし1885年、「三國神社」への改称が許可され、現在に至ります。
※山王権現 日枝山(比叡山)の山岳信仰と神道、天台宗が融合した神仏習合の神である。
天台宗の鎮守神。日吉権現、日吉山王権現とも呼ばれています。
継体天皇とは
~三国の町衆が総力を挙げて~
鳥居をくぐり抜けると、とても大きな随身門が出迎えてくれます。随身門とは、随身と呼ばれる警護の官人姿の守護神を両脇に配置した門のことをいいます。
福井県内最大の三間一戸の本格的な楼門です。6年がかりで、1870年に完成。棟梁は森町大工安右衛門で棟高約13m、和様を基調に扇垂木など禅宗様を加味している。屋根には嶺北では珍しい檜皮葺きでしたが、2004年に銅板葺きに改められました。
三国港の賑わい、勢いを偲ばせる立派な佇まいです。
~静かな境内~
門をくぐり境内に入ると、少し空気が変わる気がします。何か神秘的、それでいて安心感の様なものを感じさせてくれます。
~あるものが無い拝殿~
「三國神社」の拝殿ですが、あるものがありません。それは何でしょうか?正解はお参りの時に鳴らす鈴がありません。(写真では見にくいのですが)鈴を鳴らして神様をお招きすると言われる大切な役割の物が無いのです。それでは何故大切な鈴が無いのかというと、拝殿前で拍手をすると天井に反響する構造になっているそうです。拍手の音が鈴の音と同じ効果があるので、鈴は下げていないそうです。また、拝殿には28匹の猿、懸魚の鳳凰、母屋の桐花等の彫刻がほどこされ、とても芸術性の高い建物となっています。やはり、町衆が総力を挙げて造営した物とつくづく実感しました。
~映画の様なロケーション~
境内から随身門の方を見ると、竹田川がみえ、緑が生い茂り、厳かな雰囲気を感じさせてくれます。それを階段に座って眺めていると、何だか夏の映画のワンシーンを観ている様な気にさせてくれます。
今回は「三國神社」の主だった所しかご紹介できませんでしたが、境内には他に「絵馬堂」、「宝物殿」、「神馬堂」、「神輿堂」、「八幡神社」、「木立神社」、「桜谷公園」等、見どころ沢山の神社になっています。是非、休暇村越前三国にお泊まりの際にはお寄り頂けると嬉しいです。
また、次回も三国町の歴史シリーズをお楽しみにしてください。
福井県坂井市三国町山王6丁目2-80 休暇村越前三国より車で約15分