"明治三大築港"として今なお機能し続ける「三国港突堤」
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スタッフ名:杉森
~川の氾濫を防いだオランダ人技師「G.A.エッセル」の偉業~
こんばんは!スタッフの杉森です。少し冬の寒さも和らいできたと思ったら、また冬将軍が顔を出したり、引っ込めたり。なかなか季節感が感じられない今日この頃を過ごしています。
今回は三国港突堤を作った「G.A.エッセル」(ジョージ・アーノルド・エッセル)をご紹介したいと思います。まずはここで"明治三大築港"とは何?"明治三大築港"とは、三角港(熊本県)、野蒜港(宮城県)、そして三国港(福井県)と称されています。
「三国港突堤」、突堤? 突堤とは堤防の形状を示す言葉で、防波堤は堤防の用途を示しています。用途が防波堤で形状が突堤という場合も有り、その場合には突堤と防波堤は同じものを表す事も有ります。
「三国港突堤」の場合、上流から流れる土砂で毎年のように河口が塞がれていました。その解決法としてオランダ式港湾技術で突堤を築き、水そのものの力で土砂を海中深くまで流し込み、土砂の堆積を防ぐ画期的な手法を用いました。そして防波堤としての機能も兼ね備えています。
~「G.A.エッセル」当時の先進技術を伝える~
王立アカデミーの土木科卒。5年間の滞在だったが、淀川修復工事を設計したあと、明治9年に淀川を離れ、鳥取県を手はじめに東北地方まで回り、日本の近代化インフラ設備を指導していく。写真右
「G.A.エッセル」の工法
エッセルは土木技術に優れたオランダの「粗朶沈床(そだちんしょう)」という工法を取り入れました。クヌギやナラなどの木の枝を籠のように組み、中に石を入れるこの工法により、突堤は波の影響を受けにくい安定した構造になりました。また近くの雄島や東尋坊から切り出した石を使い、景観にも配慮しました。こうして完成した三国港突堤は、設計者の名前から別名「エッセル堤」とも呼ばれています。
その他にも
三国港突堤のほかに小学校校舎の設計があります。
明治時代、三国の高台で異彩を放っていた龍翔小学校もエッセルが設計したものです。木造5階建で、最上階にドームをもつ八角形の珍しい形の建物でした。大正3年に老朽化のため取り壊されましたが、昭和56年に開館した三国の郷土資料館「みくに龍翔館」の建物にそのデザインが復元され、今も三国のシンボル的な景観を見せています。
奇抜なデザインが評判となり、1878年に明治天皇が北陸巡幸を行った際には、政府高官の井上馨が建設工事の視察に訪れている。龍翔小学校は三国町のシンボルであり、「こうもりがさ小学校」と親しまれている。
~「みくに龍翔館」~
三国港突堤の延長
明治11年~15年に築造された突堤の延長は511mでしたが、戦後、昭和23年の福井地震で突堤が沈下したため、嵩上げが行われました。さらに昭和39年から昭和45年にかけてはコンクリートブロックの設置や海側の嵩上げが行われ、また、新規411mが下流側に追加され現在に至っています。
釣りをしないのでちょっと分からないのですが、この延長部分が釣り人を惹き付けているそうです。
今回の「三国港突堤」はいかがだったでしょうか。約150年前の防波堤兼突堤が生活を守り、生活に溶け込み、人を楽しませる。この素晴らしい場所がこの三国の海に存在しているのです。一度この歴史上、唯一無二の場所を歩いてみませんか、お待ちしております。加えて近くに休暇村越前三国がございますので、是非お立ち寄りください。
「三国港突堤」 福井県坂井市三国町宿 サンセットビーチ横 休暇村越前三国より車で約10分