「不死鳥の街」の玄関口 ~福井駅の歴史~
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スタッフ名:杉森
「不死鳥の街」の玄関口 ~福井駅の歴史~
こんにちは!
前回、太極拳を始めたことをご報告致しましたが、なんと、今回のブログ作成時まで続けております。少し慣れてきまして、今後も続けていけそうな兆しを感じている今日この頃、皆さんはいかがお過ごしでしょうか。
どうもスタッフの杉森です。今回は「福井駅」の歴史をご紹介したいと思います。
~順風満帆ではなかった福井駅~
福井市への鉄道路線の計画はあまり優先度が高くありませんでした。かつては敦賀が日本とユーラシア大陸とをつなぐ敦賀港を擁し、欧亜国際連絡列車の出発地としても重要視されていました。ゆえに当局も敦賀駅までは早急に鉄道を敷設する必要性を感じていたが、敦賀以北は二の次だったそうです。
どうしても鉄道が欲しかった北陸地方。旧加賀藩の当主を継いだ前田利嗣や旧福井藩主の松平茂昭は、私鉄の東北鉄道を設立。自らの手で北陸に鉄道を引き込むことにしました。東北鉄道の資本金は450万円。当時としては、とてつもない額の資本金が集めました。
東北鉄道は石川県や福井県から滋賀県の長浜を通り、三重県の四日市まで線路を敷設する計画でしたが、これに対し政府は、地形的な事情から福井以南の建設は困難であると判断しました。東北鉄道の首脳たちは、早々に福井以南の鉄道建設を諦め計画を撤回されました。そこに景気悪化も相まって、松平茂昭をはじめ越前地方の出資者たちが発起人を辞退していき、東北鉄道は暗礁に乗り上げてしまいました。
経済的な混乱が収束した1888年、北陸で鉄道敷設の機運が再び高まります。新たな鉄道計画は敦賀―福井―金沢―富山間を結ぶ私鉄「北陸鉄道」です。福井では、県都・福井に鉄道を呼ぼうとする機運が高まっていきます。その矢先、またもや不景気が襲い北陸鉄道への機運はしぼんでしまいます。ですが、険悪なムードが漂っていた福井市政財界の空気を、1892年に成立した鉄道敷設法によって払拭しました。同法によって、整備するべき路線の第一期線に敦賀駅―福井駅間が盛り込まれ、北陸線の線路は敦賀駅から継ぎ足す形で建設されていきました。少しでも早く列車を走らせたい福井市政財界の関係者たちは、建設を終えた区間から暫定的に列車の運行を始めることを打診し1894年には福井駅の北方の森田駅まで線路が完成しており、福井駅まで列車を走らせることが物理的に可能だったからです。しかし、その矢先に豪雨が発生。敦賀駅―今庄駅間のトンネルなどが土砂災害で損壊し、福井駅までの区間は運行が不能になってしまいました。
こうした災害を乗り越えて、福井駅は1896年に開業にこぎつけました。
~県内で乱立する鉄道計画~
福井駅の開業が目前に迫ってきた頃から、県内には北陸線とは別の鉄道計画が続出する。これは同線のルートから外れた地域から鉄道を求める声が起こりました。福井市と関係がある計画だけでも、大野―勝山―福井―三国間を結ぶ越前電気鉄道、福井―三国―金津間を結ぶ三国鉄道、勝山―松岡―福井―三国間を結ぶ福井鉄道、岐阜県と福井県を結ぶ本線のほか、古市―福井間に支線を計画していた濃越鉄道などがあった。このうち、越前電気鉄道は一度免許を失効したものの、再度の挑戦で開業を果たした。
えちぜん鉄道 京福電気鉄道が福井県下で運営していた越前本線(現在の勝山永平寺線)および三国芦原線を引き継いで運営するために設立された第三セクター方式の鉄道事業です。
福井鉄道 福武電気鉄道が武生新駅(現・越前武生駅)と兵営駅(現・神明駅)〜福井新駅(現・赤十字前駅)間が開通し、武生と福井が鉄道線により結ばれた。鯖江36連隊の輸送も担った。
「福井駅の今」~待ちどおしい北陸新幹線~
とにかく、新幹線が待ち遠しい。駅舎には福井県が推している恐竜が描かれています。
その他に恐竜のオブジェも設置しています。このオブジェ時間になると恐竜の鳴き声を発します。
現在、福井県は北陸3県で新幹線が唯一走っていません。北陸新幹線の金沢駅から先は2024年度に敦賀駅(同県敦賀市)まで開業する予定でしたが、福井の政財界からは福井駅までを暫定的に開業させる案も出ていました。最終的には、当初の方針のまま敦賀駅まで一気に開業する形になりました。
今回は以上になります。
福井駅にも歴史があり、紆余曲折を経て現在に至ります。ようやく新幹線も2024年度に開通し盛り上がっていくのを休暇村越前三国も協力していきたいと思います。
もちろん、開通前でもお待ちしておりますので、是非いらっしゃってください。