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2023.10.11

柴田勝家、戦いだけではない -北ノ庄城・九十九橋-

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スタッフ名:杉森

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こんにちは!
男子ワールドカップバレー、オリンピック自力で出場権獲得しました。残念ながら”アメリカ”には敗れてしまいましたが、期待と感動をありがとうございました。一方、ワールドカップラグビーでは予選リーグ敗退してしまいましたが、選手たちの頑張りで次回のワールドカップの出場権は獲得しました。短期間にスポーツで悲喜こもごもあり過ぎて感情がおかしくなっている今日この頃、皆さんいかがお過ごしでしょうか。
スタッフの杉森です。
 
今回は、前回のブログにも関係がある”柴田勝家の北ノ庄城”をご紹介したいと思います。
一口に北ノ庄城(福井城)と言っても
北庄の朝倉景行の館
柴田氏 北ノ庄城
丹羽氏 堀氏 時代
青木氏(豊臣家親族)時代
結城氏 北ノ庄城(福井城)
と歴史があります。その中でも有名なのは”柴田勝家の北ノ庄城”です。
-現在の福井城 "結城氏 北ノ庄城”-
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現存する城郭は、”結城氏 北ノ庄城”です。この城は家康の次男である結城秀康が関ヶ原の戦いの戦功第一位ということで北ノ庄68万石を拝領し、知行割を実施し、築城に着手しました。1604年に秀康が松平氏を名乗ることを許され、名実共に御家門の居城にふさわしい城となるよう、全国諸大名の御手伝普請で約6年の歳月をかけて完成しました。完成した城は東が新堀川(現在の荒川)、南は足羽川、北は加賀口馬出までの2キロメートル四方に及び本丸は4重5階の天守が建てられたものです。
-柴田氏 北ノ庄城-
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“柴田氏 北ノ庄城”は”結城氏 北ノ庄城”より南にあったと、発掘調査で分かったそうです。まず、柴田勝家が越前国北ノ庄(福井県嶺北)に来たのは、越前を支配していた一向一揆を平定した功績によって、越前国北ノ庄を与えられ自らの縄張りによって築城を開始しました。城は足羽川と吉野川が合流した位置に築かれ、堀の一部に足羽川を使用していたと推定されており、天守は7層(一説には9層)構造で、安土城に匹敵する巨城であったと伝えられています。その場所がここ”柴田神社”だそうです。
“柴田氏 北ノ庄城”と切っても切り離せないのが”九十九橋”です。柴田勝家の時代に、橋の北半分には木材を、南半分には石材を使って架け替えられたそうです。江戸時代の多くの地誌類に奇橋・名橋の一つとして取り上げられたといいます。北半分を木材とした理由には北ノ庄が攻撃を受けたとき橋を焼き払っても再建費用が半分で済むや、洪水の際、半分の流出だけで済む等諸説あります。防御面でも、経済面でも、とても優れた考えの基、この”九十九橋“を造り上げた柴田勝家は、戦いだけの武将では無かったのがよくわかります。
 
今回のご紹介は以上になります。柴田勝家と聞くと豪胆で、些細な事は気にしないイメージがありますが、実際(勝手な想像ですが)経済面、街の構築などにも長けていた武将だったようです。また、10月21日に「福井城下まち歩き」にて、JR福井駅周辺など福井市中心部に残る福井城の痕跡をたどるイベントが開催されます。参加者20人を18日まで専用フォームで受け付けるそうです。(専用フォームは下に貼ってあります)興味のある方はご参加されると楽しいと思いますよ。その際は、是非、休暇村越前三国にお寄りください。お持ちしております。

「柴田神社」 福井市中央1丁目21-17 休暇村越前三国より車で約60分
「福井城跡」 福井市大手3丁目17-1              同上  

 

「福井駅前に残る福井城の痕跡を探そう」 申込フォーム

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