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2023.11.27

坂井市龍翔博物館~三国のシンボルはかつての小学校~

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スタッフ名:野口新之介(歴史ある町に住む)

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1872(明治5)年、学制により新しい教育の制度が始まり、 日本中の町や村には小学校が作られました。当時、三国湊はとても繁栄していて、三国のシンボルと なる小学校建設を計画されました。オランダ人技師・エッセル氏が設計し、 日本のどこにもない五層八角形の偉容を誇る、龍翔小学校が1876年(明治9年)が完成しました。

その後、三国尋常高等小学校 →三国南小学校と名前を変え現在に至ります。坂井市龍翔博物館は、かつての龍翔小学校を復元した博物館で、今年の7月にリニューアルオープンしました。三国南小学校は我が家の子供達が通う学校でもあり、先日、娘と一緒に見学に行ってきました。
入ってすぐに、どーんと大きな北前船の模型が展示されていました。三国湊の繁栄は北前船によるもので、全国からの物資が三国を通して福井県内に入ってきました。
三国祭りの山車の展示。10ⅿもあり現在の物よりかなり大きいです。かつてはこのサイズだった様ですが、明治41年に電線が敷設され、現在のサイズ(約6ⅿ)になったそうです。
明治時代の龍翔小学校の写真です。建設費は全て地域の人々からの寄付で集められました。残念ながら木造で高台に建てられたため、強風や風雪で傷みが進み、校舎が傾斜した為に1914(大正3)年に解体されました。
図面を見ると入口は来賓・教員用、男子用、女子用に分かれています。また教室も男女別々です。5階建てですがトイレが1階にしかなく、当然エレベーターも無い訳で、結構不便だったのではと思われます。
博物館内は他にも面白い展示が色々と。北前船の寄港地として栄えたころの三国湊のジオラマ。双眼鏡で眺めると精巧な作りが良く分かります。
高見順、伊藤柏翠、中野重治など坂井市にゆかりのある作家の展示もありました。写真の多田裕計は福井県初の芥川賞作家で、三国南小学校の校歌を作詞されました。
トリックアートのコーナーも。龍翔小学校を設計したオランダ人技師・エッセル氏は、だまし絵で有名なエッシャーのお父さんです。
縄文時代から、現在の坂井市の産業までの流れを展示物や映像を観たりして、4階の展望室から景色を眺めたりしていると2時間弱が過ぎました。江戸時代には福井藩と丸岡藩の領地があちこちに飛び地になっており、幕末から明治にかけては最も賑わったんだというのが感じられました。
娘もそれなりに楽しそうにはしていた様に思います。博物館は学びがあって、なかなか有意義な時間となりました。

場所:福井県坂井市三国町緑ケ丘4-2-1(休暇村より車で約10分)
電話:0776-82-5666

 

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