休暇村裏磐梯のある福島県会津地方は、独特の歴史と文化で香り高い地域です。しかし会津人は自己アピールが得意でなく、その魅力が広く知られていません。
かく言う私も典型的会津人のためうまく伝えられないのですが、このブログで会津の良さをPRしたいと思います。
会津の中心、会津若松市に「鶴ヶ城(会津若松城)」があります。
南北朝時代の会津芦名一族が居城としたのが始まりですが、戦国時代になり秀吉の奥州仕置で伊達政宗の動向に目を光らせる役割で、蒲生氏郷が今の滋賀県日野市から92万石の大大名として移封され、1598年には7層の巨大な平城を築きました。
氏郷は、千利休なきあとその子の千少庵を会津にかくまって千家断絶を防ぎ、以後その子3人により表千家・裏千家・武者小路千家が興き、千家茶道が現代につながりました。
鶴ヶ城内には、少庵が氏郷のために作った茶室「麟閣」が昔のままに利用されています。
また7層の鶴ヶ城は1611年の会津大地震により石垣が崩れ使用できなくなりましたが、加藤嘉明、明成の時代に現在の姿と同じ5層の天守閣が築かれ、以後、徳川2代将軍秀忠の子、保科正之が入封してからは幕末まで保科改め会津松平家の居城となりました。
(現在の鶴ヶ城天守閣は取り壊された戊辰戦争以後、再び会津のシンボルとして1965年に外観復興再建されたもので、内部は「若松城天守閣郷土博物館」として公開されています。)
2代藩主の保科正経の時代には城内に能舞台が設置され、350年の歴史を持つ伝統芸能が
平成年間に新しくなった「会津能楽堂」で、今も演じられています。
(↓ 宝生流「羽衣」の演能(薪能)
会津藩は、保科の時代は公称23万石とのことでしたが実石高は40万石で、さらに上杉景勝の時代は120万石という東日本きっての雄藩でした。
幕末の戊辰戦争では大きな辛酸を舐めましたが、新生日本に多くの人材を送りました。
ー幕末維新の先覚者として京都商工会議所の会頭ともなった山本覚馬、
幕末のジャンヌダルクと呼ばれ私学教育や社会活動に功績を残した新島八重、
白虎隊から東大・京大総長を務めた山川健次郎、
日本初の女子留学生として渡米し帰国後赤十字活動に邁進した大山捨松、
人権に配慮した捕虜収容所長を務め第九交響曲アジア初演の背景を築いた松江豊壽、
義和団事件で公使館防衛に邁進し、サムライ・ジェントルマンとの評価を世界から得た柴五郎
など、枚挙にいとまがないです。
このような歴史・文化や人材が継承されているのは、会津が雪国ではあるが災害の少ない豊かな風土であったこと、とりわけ会津の中心にある「会津盆地」が極めて美しい盆地であることが背景にあると私は思います。
古事記・日本書紀という日本国の黎明期の書物に、奈良・京都以東の東国で地名として出てくるのは「会津(当時は「相津」と表記)」ただひとつという事実がいみじくも示していると思います。
ぜひ、「美しい会津」においでください!!
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