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2020.11.21

猪苗代湖はいつ、どうしてできた!? 磐梯山噴火が関係する?

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スタッフ名:高梨

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 猪苗代湖は日本第4位の面積をもつ大湖で、磐梯朝日国立公園の最南端に位置し、磐梯山頂から猪苗代湖岸まで南にわずか7.5㎞の距離にあります。(ちなみに休暇村裏磐梯までは山頂から北に8㎞の距離です。)
 昔から猪苗代湖のでき方については、断層湖説または堰き止め湖説と、定かではありませんでしたが、最近10年間の研究により明確になってきました。
 
 それは、2012~13年の福島大学の長橋良隆教授らによる湖底堆積物のボーリング調査の成果によります。湖底最深部94mのそのまた下に厚さ約30mの堆積物があり、一番下の部分は河川堆積物ですが、その上に湖底堆積物特有のバーコードのような明暗の縞状粘土層が重なっていて、その堆積環境の変化は、挟さまれていた木片等の放射性炭素年代や、遠くの火山からの火山灰分析から、約42,000年前との数値が示されました。
 
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  (写真)左のバーコードのようなものが湖底堆積物の断面です。それぞれの筋の鉱物等の違い 
     から堆積環境だけでなく、いつの時代の、どの火山から噴出物が飛んできて猪苗代湖
     底に堆積したのかまでわかるそうです。(長橋教授の論文資料より)

 これは、30,000~46,000年前に起きたとされる、噴火に伴う大規模山体崩壊による岩なだれで、唯一の流出河川となる日橋川の谷が埋められ、堰き止め湖として猪苗代湖が誕生したという、一方の仮説に調和します。(年代の一致のみが堰き止め説の根拠というわけではありません。)
 
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(写真) 中央が磐梯山
     オレンジ色の線が、山体崩壊による崩壊壁の輪郭
     赤色・青色が、岩なだれの崩れ落ちた方向
     水色の線が、流れ山地形の広がった範囲
     ピンク色の点が、笹山原遺跡の位置(旧石器の遺跡)
     水色の点が、法正尻遺跡(縄文中期の大型遺跡群)

 磐梯山は、今日の裏磐梯をつくった1888年の山体崩壊~岩なだれ~流れ山地形の形成と同様な火山活動を、より大規模な形で4~5万年前にも南西側で行っていたのです。
 岩なだれの一部は会津盆地の会津若松市河東町までなだれ落ち、流れ山地形を残しています。そうした一連の火山活動により猪苗代湖ができたようです。この地方の地形環境の大変化です。
 裏磐梯と同じことが表磐梯でも! 驚きの火山です。
 
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  (写真)湖岸の西側の丘陵地のうち、一段低い部分が日橋川のあるところで、その右側が磐梯
     山からなだれ落ちてきた流れ山地形の部分です。この丘陵地の奥に会津盆地があり、盆
     地めがけて岩なだれがなだれ落ちました。盆地は猪苗代湖より300m低いので見えませ
     んが、盆地のさらに西にある雪を抱いた飯豊山がはるか彼方に写っています。

 その頃は、まだ日本に人は住んでいなかったようですが、35,000年前頃になると日本のあちこちに旧石器時代の遺跡がみられるようになります。
 福島県内では、猪苗代湖岸に近い笹山原遺跡(約30,000年前、会津若松市湊町)が最古級ですが、これはまさにその磐梯山の岩なだれによる流れ山地形の上に位置します。
 
 狩猟採集の生活にとって、小さな凹凸が広がる流れ山地形はナウマンゾウやオオツノジカと言った大型動物の狩猟にとって都合よく、間近にある猪苗代湖の魚介類も得られることから、この地はとても住み良く、そのため最初の福島県人、会津人が定着したと考えられます。
 
 磐梯山の火山活動が、この地に最初の旧石器文化を定着させたと言えそうです。
 
 「カタストロフィー(破局)的大災害が、転じて福となす。」

 明治以降の日本火山災害史上最多の死者をだした1888年の磐梯山噴火が、わずか数十年のうちに磐梯朝日国立公園の最もにぎわう魅力的な自然公園をつくった、裏磐梯と同じことです!
 
 何が磐梯山周辺地域の驚異・魅力の根源なのかといったら、こうしたことでしょう!
 
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  (写真)サイクリングコースの風景

 今日紹介しました猪苗代湖や磐梯山の姿に触れるには、野口英世記念館から白鳥浜までの、猪苗代湖サイクリングコース(全長3.6㎞)がお薦めです。徒歩も大丈夫です。
 
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