東京都知事の大先輩 ~由利公正~
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スタッフ名:杉森
財政危機の救世主、新しい国づくりへの情熱
「由利公正」と聞いてもピンとこない人が多いと思いますが、この方とんでもない事を成し遂げているのでご紹介したいと思います。越前国足羽郡福井城下(現・福井県福井市)毛矢町という下級武士の町で生まれ武芸は秀でいましたが、勉学の方は手こずっていたそうです。その後、福井藩の政治顧問を務めていた「横井小楠」と出会い財政学を学ぶようになります。福井藩の莫大な借金を解消する為に自ら検地を行い、いくら倹約をしても毎年2万両づつ赤字が出る事を突き止めます。その為、「藩礼」を発行し、生糸の生産者に融資しました。その一方で長崎のオランダ商館と生糸の販売契約を結び、販路開拓にも積極的に取り組み、十年後には藩の財政を黒字に導いたのです。
坂本龍馬とは馬が合った!
この藩政で見せた「由利公正」の手腕に目を付けたのが「坂本龍馬」でした。はるばる福井まで2回も訪れ、酒を飲みながら深夜まで新国家の財政策について話し合ったと言われています。
よほど馬が合ったのでしょう、この時の腹を割った未来への話が楽しくて「坂本龍馬」が熱い想いを歌に託したそうです。その歌詞がこちらです。
「坂本龍馬」2度目の福井訪問から約1週間後、足羽川沿いを歩いていると突風が襲い懐にあった「龍馬の手紙」を落としてしまいました。その手紙を紛失した時を同じくして龍馬が暗殺されたという巷説があります。
その深い関係のあった「坂本龍馬」に推薦され、新政府の「御用金穀取扱方」今でいう財務大臣に就任しました。新政府も財政厳しかったが、日本初の全国通用紙幣「太政官札」を発行し、財政危機を救ったり、「五箇条の御誓文」の原案「議事之体大意」を起草し新政府に尽力しました。
その後、「東京府知事」に就任します。就任中、「銀座大火」が発生し、丸の内、銀座、築地の一帯が全焼。当時は木造建築物が多かった為、東京を防火防災都市とすべく銀座に煉瓦造りの建築物を多く建てたり、銀座大通りの幅員を27.3mするなど都市計画を立案・実行に移し、現在の東京の礎を築きました。また、「岩倉使節団」に加わったり、「板倉退助」らと共に「民撰議院設立建白書」を提出したり、明治時代を代表する出来事に関係をしています。本当にあまり知られていないのが残念なので今回紹介してみました。
”日本の未来を語りながら「由利公正」と「坂本龍馬」が二人歩いた”かもしれない足羽川沿いを歩いてみませんか!(由利公正邸は河川工事の為残っておりません)
福井市足羽川 「幸橋」南詰 福井県福井市毛矢1丁目1 休暇村越前三国より車で約40分