-番外編- 「福井城跡-お堀の灯り-
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スタッフ名:杉森
こんにちは!
夏も本番に入り、コロナ制限も明け、「さぁ夏を楽しむぞ!」と意気込んでみましたが、まさかの殺人的な暑さによって、不要不急の外出を控えて下さいとの事。ニュースでは、海水浴場、プール施設、遊園地など、暑さで入場者数が軒並み前年を下回っているそうです。そんな中皆さんいかがお過ごしでしょうか。
スタッフの杉森です。
今回は、-番外編-としまして「福井城跡-お堀の灯り-」というイベントをご紹介したいと思います。その前に少し福井城の歴史に触れてみたいと思います。
まずよく知られているのが、「柴田氏北ノ庄城」です。朝倉氏の滅亡後、越前を支配していた一向一揆(越前一向一揆)を平定した功績によって、越前国北ノ庄を与えられた柴田勝家が1575年に築城を開始し、天守は7層(一説には9層)構造で、安土城にも匹敵する巨城であったと伝えられる。そして、現在の福井城跡の祖は、「結城氏北ノ庄城」。1600年に家康の次男である結城秀康が関ヶ原の戦いの戦功第一位ということで68万石を北ノ庄に拝領すると、翌1601年9月には知行割を実施し、築城に着手した。1604年に秀康が松平氏を名乗ることを許され、名実共に御家門の居城にふさわしい城となるよう、全国諸大名の御手伝普請で約6年の歳月をかけ4重5階の天守が建てられました。今も笏谷石の石垣と水を湛えるお堀が残る城址として全国的にも珍しく貴重な史跡とされており、近年、御廊下橋や福の井が復元され、天守台に至る階段も整備し、山里口御門の復元も完成しました。
-「福井城跡-お堀の灯り-
「福井城址お堀の灯り」は、福井城址およびその周辺で、ろうそく等によるライトアップをおこないながら、築城以来の往時を偲び、空襲や震災などでは、多くの人々がお堀に難を逃れようとして亡くなった人々を鎮魂し、市民ぐるみで新たな福井のまちづくりを推進するものです。
-「空襲の中職務を全うした電話交換手」-
福井空襲…戦時中の昭和20年(1945)7月19日。夜10時頃にB29爆撃機127機の編隊が福井市に来襲しました。福井城址北西付近を中心に半径1.2キロメートルの範囲をめがけて、81分間の集中的な爆撃
約9,500発、865トンもの焼夷弾が落とされました。全国最大の被災率といわれ、95%が市街焼失(2万戸以上)し、 9万人以上の市民が罹災。死者数は1500人をこえる被害となりました。
福井市内は一面の焼け野原となり、防空壕に避難していた人々は熱気で蒸焼きとなり、水を求め福井城の堀や足羽川に飛び込んだ人々は折り重なって亡くなったと言われています。その中、電話交換手の女性22人、庶務の男性1人の計23人が命を落としました。現在はNTT西日本福井大手ビルに、戦災殉職者慰霊観音像が建てられ供養されています。
今回は以上になります。とても綺麗な「福井城跡-お堀の灯り-」ですが、悲惨な過去へ心からの鎮魂を捧げるイベントで、それを考えると何か複雑な気持ちで灯りを眺める事になりました。この灯りのイベントは、7月22日~29日まで開催されました。過去2011年から現在2023年までボランティアの人々によって開催されています。来年も開催される事を切に願い、出来れば自分も携わってみたいと思いました。また↓
「福井城跡-お堀の灯り-」が開催されていなくても、県庁横の中央公園も綺麗な夜景を見られるので、是非いらっしゃってください。勿論、休暇村越前三国にもお寄りください。
「福井城跡」 福井県福井市大手3丁目17-1 休暇村越前三国より車で約60分