ブログ

2023.10.18

福井にも松島が‼歴史的にも大事な場所 -越前松島-

544 view

スタッフ名:杉森

画像1
こんにちは!
遂にプロ野球、クライマックスシリーズが始まりました。私は”大洋ホエールズ”時代からのDeNAファンです。相性の悪い広島東洋カープとの一戦、絶対に負けられません。意気込んで(私が意気込んでも勝敗には影響しません)観戦するも、初戦は延長11回でサヨナラ負け、第2戦チャンスはつくるものの後一打がでず惜敗。今年のプロ野球シーズンは終わりました。ちょっと寂しい今日この頃、皆さんはいかがお過ごしでしょうか。
スタッフの杉森です。
 
今回は「越前松島」です。何故歴史的にも大事な場所なのかをご紹介していきたいと思います。
本家「松島」と「越前松島」の奇妙な一致点
画像1
日本三景のひとつ宮城県の「松島」に似て、柱状節理の小島が織り成す風景と松が美しいことから「越前松島」と呼ばれています。宮城県の「松島」では、平安時代の高僧「見仏上人」が「雄島」という場所で修行をしていました。「見仏上人」の名声は京まで届き、「鳥羽上皇」より本尊や法器、松の苗木千本が下賜されました。初めは千松島と呼ばれましたが、後に千を略して「松島」と呼ぶようになりました。
「越前松島」は近くに「雄島」という島が近くにありますし、高さ十メートルはあろう立派な杉の木もあります。↑写真は福井県の「雄島」
越前松島三洞穴の一つ「聖り穴」
この「洞穴」は自然現象によってできた洞となります。洞穴の奥にはお堂が置かれており「妙意輪観音」の石像がお祀りされています。
また、昭和の初めには、この洞穴の地中から「縄文時代」や「弥生時代」に、狩猟や漁猟で使用したと思われ、様々な「土器」をはじめ、貝殻で作られた「腕輪」や「釣り針」等が多数発掘されました。そんなことから、当時の住居跡であったのではないかと言われています。
又、越前松島の景観は信仰の対象にもなり、「聖り穴」には丸岡藩(藩庁:丸岡城)の藩主本多飛騨守が寄進し、漁業や廻船関係者から崇敬されていたそうです。
越前松島三洞穴の一つ「観音洞」
画像1
画像2
入口には「観音洞」と書かれています。通常は「観音堂」ですが、「洞」となっているのは「洞穴」からとったのでしょうか。また入り口の右手側には「不動明王」の石像が鎮座し、最奥には、小さなお堂にお祀りされた、「観音菩薩」の石像が鎮座しています。ここも先程の「聖り穴」同様、自然現象によりできた洞穴となっており、縄文時代から弥生時代にかけての「横穴住居跡」ではないかと言われています。さらに、「高杯形土器」をはじめ「鹿角製釣針」や「珠文鏡」さらには「人骨」までもが発掘されたと言います。発掘された品々は大変貴重なものとして「東京国立博物館」に保管されているそうです

越前松島三洞穴 最後の一つ「弁慶の抜け穴」…
残念なことに落石などの危険がある為、通行止めになっています。
画像1
画像2
画像3
今回のご紹介は以上になります。「東尋坊」から北東へと続く海岸線沿いにあり、大小さまざまな柱状節理の岩場の景観が続いています。縄文・弥生時代の太古のロマン、景観に魅せられた戦国武将が寄進した観音像。色々な楽しみ方ができます。また、すぐ横に「越前松島水族館」もあり、休暇村越前三国から近くの距離にありますので、ご宿泊の際には是非行ってみてください。
「越前松島」
休暇村越前三国から徒歩約15分、車約3分

スタッフ

Staff blog

Archive

2025年(83)
2024年(353)
2023年(361)
2022年(362)
2021年(360)
2020年(326)
2019年(340)
2018年(350)
2017年(193)
PAGE TOP