歴史を勉強していると、「この戦がなかったら」と思えるものがいくつかあります。ここは、そのように感じる戦を始めるために豊臣秀吉が築かせたお城です。
写真は、豊臣秀吉の陣を囲むように配置された陣跡です。まさに戦国武将オールスターです。秀吉のすぐ近くには前田利家、左側には加藤清正と福島正則という秀吉側の武将がいます。右側には、陣を構える東国の徳川家康と伊達政宗の間に、秀吉側の黒田長政の陣があります。こうした配置を見るだけでも、歴史好きには楽しい場所でしょう。
秀吉はこの城に1年余り滞在し、この場所には人口20万人を超える世界有数の大都市が形成され、日本の首都のような賑わいだったようです。
名古屋城ではなく名護屋城
このお城は、二度にわたる朝鮮半島への侵攻、文禄・慶長の役のために作られた「名護屋城」です。愛知県名古屋市の名古屋城ではありません。九州は佐賀県唐津市にあります。
黒田官兵衛設計、黒田長政、加藤清正、小西行長が普請奉行
黒田官兵衛(如水)の縄張り(設計)に基づき、黒田長政、加藤清正、小西行長ら(一説には毛利輝元も)が普請奉行となり、天正19年(1591年)10月から築城を開始しました。諸大名による割普請によって、わずか5か月で築城が完了したとされています。
太閤が 睨みし海の 霞かな
本丸跡地前に広がる玄界灘の向こうには「壱岐」が見え、条件が良ければ「対馬」も見えるようです。その先には朝鮮半島があります。
どの場所が、どの武将の陣だったのかがわかります。室町幕府最後の将軍「足利義昭」の名前もあります。直江兼続は主君の上杉景勝とは別の陣にいます。
城跡入り口にある名護屋城博物館は無料
呼子まで車で10分
朝市と活イカで有名な呼子までは車で10分、唐津までは30分、福岡市の中心地までは1時間20分です。
このように、時間の前の「車で」を省略することで、文章がすっきりします。
休暇村志賀島までは1時間50分
休暇村志賀島ホームページ