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旅行記

2024.08.14

安芸高田市にある毛利元就の本城、郡山城へ

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スタッフ名:矢津田

岩国城 → 広島城 → 郡山城 毛利氏三城めぐり

新しくできたサンフィレッチェ広島のサッカー専用スタジアム『エディオンピースウイング広島』で試合が見たいと思い、広島市に行くことしました。スタジアムは広島城のすぐ隣という立地、まさに街なかスタジアムです。

百名城めぐりが趣味の一つである私、それならば行ったことのない百名城「広島城」「岩国城」「郡山城」にも行ってみようと旅を計画しました。

これまでも、沢山のサッカー専用スタジアム(ピッチの周りにトラックがない)で観戦してきましたが、この新しいスタジアムは、ピッチが近く、雨にも濡れず風も通る。これまでで一番と言っていいくらい素晴らしスタジアムでした。
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岩国城は岩国市、広島城は広島市、郡山城ってどこにある?
岩国城は岩国市に、広島城は広島市にあると想像できますが、郡山城は郡山市のわけがありません。郡山市は福島県です。
郡山城はどこにあってどう行くのか、全く知識がありませんでした。調べてみると、広島城近くのバスセンターから、バスに乗り約1時間40分、安芸高田市役所前で下車し、徒歩ということがわかりました。

「安芸高田市って、あの石丸さんが市長だった場所にあるのか。」
郡山城は戦国大名毛利元就時代の山城
戦国時代に広大な中国地方一帯を治めた毛利元就、その本城が郡山城とのこと。ということは、当時のこの地方の中心地は広島市ではなく、安芸高田市だったということです。

そして、この郡山城は山城です。中国地方の山城は、鳥取県にある尼子氏の月山富田城に行ったことがありますが、本当にキツイ山城でした。この郡山城は、尼子氏との戦いでも落とされなかった毛利の本城です。本丸跡にたどり着くまでの行程は、かなりハードだろうと覚悟を決めました。
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1日目は岩国城と広島城へ

毛利元就の三本の矢、3人の子が継いだ毛利家、吉川家、小早川家
「三本の矢」は、毛利元就が三人の子ども、隆元と元春(吉川氏に養子)、隆景(小早川氏に養子)に授けた教えと言われています。岩国城は、吉川家の養子となった吉川元春の息子である吉川広家が、関ケ原の戦いで東軍に敗れた後、初代藩主となった城です。

関ケ原の戦いで毛利家は西軍の総大将となりますが、吉川広家は東軍の徳川家康に内通し、毛利領の安堵という密約を取り付けていました。合戦では、吉川広家は動かず、吉川広家の後ろに陣があった毛利家も動けませんでした。そして、豊臣秀吉の甥で、養子となり小早川家を継いだ小早川秀秋の東軍への寝返りで西軍は敗れました。

関ヶ原の戦いの前、毛利家は120万石を領していましたが、所領安堵という密約は反故となり、毛利家は長州藩(周防国・長門国)29万8千石に領地を削られ、出雲国11万石であった吉川家は、岩国3万石の所領を与えられ、この岩国城の初代城主となったというのが時代の流れのようです。
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一方小早川秀秋は、豊臣政権の五大老(徳川家康・毛利輝元・前田利家・宇喜多秀家・上杉景勝)の中で、ただ一人関ケ原の戦いで戦った宇喜多秀家領の岡山55万石に加増され、毛利本家より大きな所領となります。

三本の矢のうち、小早川家は秀秋が22才でこの世を去り改易となりますが、毛利家と吉川家は幕末期の難局に対処し明治時代へと続いていきます。
岩国城へは
岩国城へは岩国駅から錦帯橋バス停までバスに乗ります。有名な5連の木造アーチ橋「錦帯橋」を渡り、ロープウェイに乗ると天守にたどり着きます。
帰りには、城下にある長州屋で、山口県下関市の川棚温泉が発祥の「瓦そば」と、「岩国寿司」を食べてみました。
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毛利輝元の時代に築城され、本城となった広島城
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広島城は毛利元就の孫、輝元の時代に築城され、本城は吉田城から広島城に移されます。関ヶ原の戦いで毛利家が敗れた後、広島城の城主は福島家、浅野家と変わりました。

私が育った福岡は、戦国時代は大内家、大友家、小早川家と代わり、江戸時代になり黒田藩となりました。福岡の人にとって、お殿様は江戸時代に入ってきた黒田家というイメージだと思います。

逆に、広島の方たちにとっては、江戸時代に入って来た福島家や浅野家ではなく、毛利家というイメージのような気がしました。サンフィレッチェ広島のサンフィレッチェも、毛利元就の「三本の矢」の故事から名づけられています。天守からは『エディオンピースウイング広島』も見えました。

前日に、安芸高田市役所行のバス乗り場と時刻をチェック

バスの本数も少ないようようなので、ネットで調べた情報だけでは心配なので、実際にバスセンターに行き、乗り場、時刻、コインロッカーの場所などを調べ7:45発の吉田行に乗ることにしました。
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安芸高田市に到着 20240801094831.jpg 20240801094837.jpg

先ずは清神社へ
安芸高田市役所バス停でバスを降り、郡山の鎮守社として戦国時代には毛利氏に篤く信仰された「清神社」へ向かいました。サンフィレッチェ広島は結成以来、シーズン開幕前の必勝祈願をこの神社で行っているという説明がありました。
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神社前のサンフィレッチェ広島と毛利元就ののぼり
神社にある毛利の家紋
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郡山城本丸跡へ

安芸高田市HP 郡山城パンフレット(ルートマップ)

清神社の横に公衆トイレがあります。ここが郡山城の本丸へのスタート地点です。
ここをスタートしたのが9時37分です。
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本丸跡迄1000mです。
本丸跡迄800m地点に、毛利元就墓所との分かれ道があります。
展望台があります。
展望台の上には、大きな毛利家の家紋。
残り400mm 励みになる分かれ道の案内
200mの分かれ道
三の丸との分かれ道
10時1分。本丸跡に到着です。
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尼子氏の月山富田城と比べると、勾配がきつくなくかなり楽でした。本丸跡と行っても天守があるわけではありません。山全体がお城なので、ものすごい石垣があるわけでもありません。
江戸時代以前の天守が残っているのは12城。今回訪問した岩国城と広島城は再建天守。あの江戸城ですら天守は再建されていませんので、百名城めぐりというのはこういう感じです。

安芸高田市歴史民俗博物館へ

最後に、安芸高田市歴史民俗博物館に行きました。この日はあいにくの天気で、郡山城では誰にも会いませんでしたが、ここには来館者に出会いました。近くには、三矢の訓跡と毛利元就像もありました。
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毛利元就像
安芸高田市歴史民俗博物館

サンフレパーク 安芸高田市サッカー公園

安芸高田市には、サンフィレッチェ広島の練習場もあります。サンフィレッチェ広島のユースからは、沢山プロサッカー選手が育っていますが、この毛利元就生誕の地に暮らし育っていってるんですね。

最寄りの休暇村は帝釈峡

休暇村帝釈峡