観光

2024.04.09

下田歴史シリーズ お吉ヶ淵

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スタッフ名:江柄

お吉ヶ淵(おきちがふち)

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明治24年(1891年)3月27日の豪雨の夜、一人の女性が下田街道沿いの稲生沢川の淵に身投げをした。
その女性の名は斎藤きち。“唐人お吉”と呼ばれた女性であります。
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きちは、安政4年(1857年)に、当時下田に滞在していたアメリカ総領事のハリスの「身の回りの世話」を
するよう説得されました。人生を決定する転機が訪れた時でもあります。
 
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ハリスは、看護をしてくれる女性を希望したと言われるが、幕府はこれをきちに白羽の矢を立てたと言われています。
期間として約2ヶ月の勤めであり、支度金25両のことや、異国人の私的な身の回りの世話をしたという偏見、報酬の高さ(月給10両)からくる妬みのせいか、その後きちは下田の町で「唐人お吉」と呼ばれ、迫害を受けるようになりました。
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何度となく、下田に戻っては来るが絶縁や、破綻などをおこし、最終的には物乞い同然の身にまで堕ちてしまう。
そして悲劇的な死を遂げてしまいます。
淵から引き揚げられた遺体は引き取り手もなく、菩提寺も埋葬を拒否したとされているため、3日間もその土手に放置されたままだったと言われています。
最終的には、宝福寺の住職が遺体を引き取りこれが現在の墓所に埋葬されました。
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下田の人々に嫌われ続けたきちであったが、下田を離れてもまた下田に戻ることを繰り返しており、下田を愛していた、そんな人生であったのではないかと思いました。
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川沿いは散歩コースにもなっており、池の中には、鯉もいます。

近くに行った際に、寄ってみてはいかがでしょうか。

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