2022年は、牧野富太郎博士生誕160年にあたる節目の年
牧野富太郎博士は、日本植物分類学の基礎を築いた一人として知られています。「雑草という名の草はない」という言葉を残し、日本人として国内で初めて新種に学名をつけ、生涯収集した標本は約40万枚といわれ、蔵書は約4万5千冊を数えます。新種や新品種など約1500種類以上の植物を命名し、え、これも?あれも?と、そのユニークな名付け方でも人柄が偲ばれます。
2023年春、ひたすら愛する草花と向き合い、明るいまなざしで生命の多様性を肯定し続けた牧野富太郎博士がモデルの、喜びと感動に満ちた人生を描く朝ドラ「らんまん」が放送されることでも話題です。
〈「らんまん」槙野 万太郎(まきの・まんたろう)役:神木隆之介さん〉
(写真:牧野富太郎博士命名 ヘラノキ)
高知生まれの牧野富太郎博士ですが、実は東京との縁も深いのです
牧野博士は亡くなるまでの約30年間、練馬区で暮らしていました。西武池袋線 大泉学園駅に近い邸宅跡は「練馬区立牧野記念庭園」として開園されていて、生前日本国内外で探し求めた300種類以上の草木類が生育しています。皆さんも良くご存知の「高知県立牧野植物園」は本当に素晴らしいですが、ここ練馬もステキです。
書斎も再現されています
鞘堂に守られた内部に、博士の書斎と書庫の一部が保存されています。
ここでも蝶ネクタイの牧野博士に迎えていただきました。牧野博士は、植物採集に行くときにいつも蝶ネクタイ。「恋人である植物に会うのだから」と、植物への尊敬の気持を正装であらわしていました。
練馬区で過ごした晩年は、庭で植物の観察を行い、執筆や描画などに励んでいたそうです。当時書庫には4万5千を超える書籍が積み上げられていました。
記念館 常設展示室
常設展示室では、博士の愛用した採取道具や描画道具、執筆した書物などが展示されています。
破天荒な生き様の植物学者?!
植物学者のイメージとはかけ離れ(偏見でスミマセン)、破天荒で無鉄砲でだったその生き方。牧野博士は1862年に土佐・高岡郡佐川村に生まれます。正式な学歴では小学校中退ということになりますが、寺子屋や私塾などで西洋の近代科学を多岐にわたり学びました。幼い頃から植物観察に没頭し、本格的に植物学を志し、22歳に上京すると東京帝国大学(現・東京大学)の植物学教室に出入りを許されます。その一方で、生来金銭感覚のなかった牧野博士は、研究のために必要と思った書籍は非常に高価なものでも購入するなど、実家の財産をとんでもない勢いで食いつぶしていきますが、莫大な借金など気にも留めませんでした。
花あればこそ吾(われ)もあり
それでも壽衛子(スエコ)夫人を始め周りの人々に支えられ、多くの子どもにも恵まれますが、やはり家庭は顧みず、ひたすらに植物を追い求め、各地を飛び回っていました。
牧野博士が理学博士の学位を得て、いよいよこれから努力が報われるというときに、残念ながら壽衛子夫人は55歳でこの世を去ってしまいます。牧野博士は、最愛の夫人をしのび、前年に仙台で発見した新種のササに「スエコザサ(学名ササエラ・スエコアナ・マキノ)」と夫人の名を付けました。
“家守りし妻の恵みやわが学び 世の中のあらん限りやスエコ笹”
〈「らんまん」槙野寿恵子(まきの・すえこ)役:浜辺美波さん〉
自らを「草木の精」といい、植物に限りない愛情を注いだ牧野博士ですが、園内をめぐるうちに、博士のユーモアや明るさなど、とても深奥い魅力を感じました。
練馬区立牧野記念庭園
牧野記念庭園を訪ねるなら、ホテルは休暇村奥武蔵がおすすめです
朝ドラ「らんまん」牧野富太郎の聖地巡礼「高知編」はこちら